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江戸川乱歩の『陰獣』

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 まあ、日本の大学の国文学じゃ扱わないだろうな。ところが、ヨーロッパでは、けっこう評価が高い作品だ。わざわざ翻案して映画化までしている。もちろん日本でも、なんども映像化されている。通俗的で伝統的な日本の耽美猟奇的エログロの体裁を採りながらも、やたら高度な心理実験的な文学形式の奥行きがあり、乱歩の代表作の一つとされるだけのことはある。

 表面的には、本格小説家の主人公と、影の変格小説家の戦い。小山田静子のかつての初恋相手が、正体不明の変格小説家、大江春泥で、彼の小説を地で行くように、ストーカーのごとく彼女につきまとっている。そのことを相談された本格小説家の「私」が春泥を追う、というもの。そして、オチとしては、じつは静子こそが春泥本人で、自作自演だった、というトリック。

 しかし、これだけなら、なんてことはない。オチをわかったうえで読み直すなら、まったく別の面が見えてくる。この静子、マゾエロ狂いの天才女流小説家。旦那の海外出張中の慰みに、匿名で妄想満載のエログロ変格小説を書いたら、これが大当たり。ところが、「私」がそれをけなすものだから、逆に「私」を耽美猟奇のエログロ世界へ引きずり込み、その愉悦快楽を教え知らしめてやろうと、罠を仕掛けてきた、というのが、本当の筋。さらに言えば、旦那にしても、女中や運転手、愛人のヘレン、春泥を演じていた役者の市川にしても、春泥を地でいくようなエログロの一面を隠し持っており、それらが相まって、うまく静子の正体を守っている。

 なぜヨーロッパ受けするか、というと、これらがすべて江戸川乱歩の内面の葛藤だから。本格純文学小説家たらんとする自我と、変格エログロ娯楽売文屋へと誘惑するアニマの静子。自我はアニマに侵略され、立志は食い荒らされて、静子とともに自堕落に耽美猟奇のエログロ世界へ取り込まれていってしまう。それを最後の一線で留まって、あくまで本格推理として、静子のトリックを論理的に見破る、という形で終わらせる。1928年、当時、乱歩34歳。

 いちおうミステリとして、中盤になってようやく旦那が殺されるのだが、しかし、むしろこの旦那もまた春泥の一部でもあり、逆にここから春泥の隠れみのにほころびが生じる。そもそも、殺された、と言ったって、自分で春泥を名乗って自分の妻の静子を脅迫し、窓の外にへばりついて覗きの春泥を演じていたら、落ちて死んで川に流された、というもので、静子が突き落としたのかどうかもよくわからない。

 本当の殺しは、じつは、ほとんど語られない平田一郎殺し。静子は、春泥の正体は、自分の初恋相手、平田一郎だ、と言っていた。しかし、静子こそが変格小説家の春泥だったわけで、平田はどこへ行った、ということになる。最後のところで、「私」は、静子が平田を殺した、と暴く。ちなみに、江戸川乱歩、本名は、平井太郎。本当の自分はずいぶん前に静子に殺されてしまったのだ、と、乱歩自身が語っているに等しい。結果、この後、乱歩は、耽美猟奇的エログロ変格小説家の道を暴走していく。