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χωριστον

 昔の人は、五十で隠居したというが、よくわかる。コーリストン、離存感というか、社会というゲームで、いまさら金持ちになりたいとか、出世したいとか、モテモテになりたいとか、面倒くさい。そういうことは、若い連中でがんばればよろしい、と思う。旅行すら、腰が重い。若いころは、ひたすらあちこち歩き回り、ヒッチハイクでも、野宿でも、飛び込みバイトでも、なんでもやってみたい、と思ったが、いまさら、しんどい。ぷらーっと歩くのは悪くないのだろうが、人の町で暮らしたいとも思わないし、まあ、いろいろあるにしても、現状で満足。

 プロ野球の選手は、引退して気が抜ける、と言うが、それもよくわからない。そりゃ受験勉強でもなんでも、一生懸命にやったが、またやりたいなんて思うわけがないし、将来も不安な非常勤の身の上で、勉強不足の団塊教授連にトンチンカンな御助言御指導をいただくなんて、まっぴら。むしろようやく自分本来の仕事ができる。ただ、雑事が多く、気力も続かない。隠居できれば、もうすこしどうにか楽になるんじゃないか、とも思う。

 それにしても、戦中戦後世代は、やっぱりおかしい。あいつら、天然のシャブ中みたい。髪の毛を真っ黒に染め、現役に固執して、若い連中に嫉妬し続ける。別にあんたらと競ったりしないから、むしろこっちが先に隠居するから勘弁してよ、と思う。そんなに名誉欲とか社会欲にかられたって、70年も、80年も生きて、これまで主著の一冊があるわけでなし、業績なんか、空っぽじゃん。あと十年、現場に残っても、結局、なにもできないと思うよ。だったら、いまの20代、30代、40代にチャンスを譲ってやれよ、と思うのだが、人の話を聞く連中じゃない。せめて自分は、自分の身辺で譲れるものがあったら、とっとと若い連中に譲ってやって、自分は自分自身の本来の仕事を残りが限られた人生の中でやり遂げたいと思うばかり。