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京都時代劇の思い上がり

 時代劇は京都、なんて言っているやつらって、バカじゃないかと思う。ちんけな『必殺』なんて、どう見たって、京都じゃないか。あんなんじゃ、江戸の町には見えないんだよ。見ていて、頭がこんがらがっちまう。建物の作りや路地の具合、人間関係の間合いなど、江戸と京都じゃ、いまだってかなり違う。まして、冬の寒さ、夏の暑さも、江戸と京都じゃ、種類が違う。映像はそれが映り込んでしまう。だから、見ただけで、どっち撮影か、すぐわかる。まともに江戸弁を使えるやつも、一人もいやしねぇ。それじゃ、キルビルのルーの「ヤロードモ、ヤッチマイナ」と大差ない。つまり、京都制作の江戸町ものなんざ、外国人が作ったマゲものの同類だ。

 こちとら、成城育ちだ。三船プロに東宝、砧、そして、生田、蒲田、大船の時代劇にどっぷり染まって生きてきた。セットは狭いが、関東の立ち回りの荒ぶるドラマチックさは、お上品な京都なんぞが、いまさらマネできるもんじゃなかろうに。せいぜい、京都は、見え切りばかりのヤクザものでも、やってりゃいいのに。まして、甲府の荒れ地の決闘、御殿場の騎馬の疾走のような話は、京都にはまったく手に負えまい。

 残念なことに、いま、関東で時代劇を撮れるところは、ほとんど残っていない。だからってなぁ、京都はズに乗りすぎ。田舎大名の陪臣と、旗本武士、町奴、長屋町人、流れ者がすれ違いざまに鞘当てして、鎬を削るのが江戸だ。その根本のところの緊迫感がわかってないなら、生ぬるい京都の江戸町ものなんか、みっともないから、もうやめてくれよ。