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地震雲と宏観知

昨日の夕方、洗濯物を取り込んでいるとき、地震雲を見た。飛行機雲みたいに長く伸びているのだが、途中から渦を巻いている。おや、イヤだね、なんて、家族と話していたら、このあたりは真夜中に揺れた。和歌山と奈良の中央構造帯のあたりが震源だとか。他でも、リュウグウノツカイだの、クジラだのが打ち上げられたり、もっと妙な地震雲が出ていたり、今朝方のフルムーン天頂時だけの話なのか、これからなのか。

まあ、言うまでもなく、地震雲なんて判断が難しい。だから、いちいち気象庁などでも相手にしていない。が、判断のつくものしか扱わない、なんて、誰が決めた? 大学の中でも、そういうわけのわからない近代のドグマに毒された連中がうじゃうじゃ湧いてきて、学問が詰まらなくなった。だが、学問なんて、よくわかんないからやってんで、わかってたら、どっか大学の外でやってくれよ。

世界は謎だらけ。そのわけのわからないところで、わけのわからないまま、我々は毎日を生きている。そして、そのわけのわからないものを、すこしでもわかろうと努力することが、愛智、つまり、哲学だ。べつに証拠があるわけでなし、因果関係がわかっているわけでもないが、努めて宏く目を配り、耳を澄ます。いまここ、という狭い洞窟の外の様子を理解しようとする。そんなの、学問ではない、と言うかもしれないが、日々、学び問わないで済むなら、そっちこそが学問じゃない。