例の季節

同業者ならわかる例の季節だ。でも、学園祭じゃない。それどころじゃない。しかし、まだ実際にやり遂げてもいないことを、簡単にこうすりゃできる、その結果はこれくらいすごい、なんて書くのは、どうにも、こっぱずかしい。まあ、そう思わない、それどころか、本気でそういう大言壮語をしているメガロマニアみたいな人たちが実際にもらっているから、こういうときは、そうしなきゃいけないのだろうけれど、どちらかと言うと、結果を出すまでに、他人にあれこれ言い散らしたり、他人にあれこれ言われたりするのは、正直、うっとおしい。たとえ期待される方であっても、だ。

研究なんて、とにかく人の本を読んで、あれこれ考えて、また、あれこれ考え直して、書いては消し、書いては消し、そのうちにだんだん形が結晶してくるもの。だから、設計図を書いて、その手順通りにちゃちゃっと柱を組み上げて、そしたら、計画通りのすごい結果が出て、というようなものじゃないと思うのだが。うまくいかなかったときの対策、なんていっても、うまくいっているのか、いっていないのか、途中でわかることなんて、あるのだろうか。たいていは、つねにうまくいっていると思っているから前に堀り進んでいるんで、そのうち岩盤にぶち当たったりしたら、対策もなにも、別の迂回路が切り開けそうなところにまで戻って、そこからまた前進。ほかに対策なんてあるのだろうか。

まあ、世の中には、御立派な方法論をお持ちの方もいるのだろうけれど、なんでそういう人にかぎって、まともな主著もなく、5、6名の寄せ集めのような共著ばかり書いてるんだろ。ああ、それが世渡りの方法論か、とも思うけれど、そんなんだったら、真似したくもないや、と思ってしまう。受験だったら、偉い人に褒められるような模範答案を書くが、研究者が人にもわかる程度の研究計画なんか書くようになったら、独創性が勝負の研究者としておしまいだ、とも思う。なんて、あれこれ考えていると、ぜんぜん捗らない。ぱぁーっと海外でも行って、そこで静かに本でも読んでいたいなぁ、と現実逃避。