読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『砂の器』の犯行動機

 ミステリー概論で、今度は『砂の器』だ。当然、74年版。ざっとネットのレヴューなども見直したが、おっそろしくとんちんかんなものが多くて驚く。焦点は、殺人の動機だ。

 この話、とくに映画版では、これでもか、というくらい、被害者の三木巡査の善人ぶりが強調される。で、単純にその対比で、彼を殺した我賀は、とんでもない冷血漢だ、と思い込ませるように作られている。小説版なんか、もっと露骨だ。しかし、それがこの事件の真相なのか? それこそ、トリックに騙されていないか? 映画版では最後に親切に、療養所の父親にも、我賀の写真を見せ、泣きの一言を語らせている。こんな人、知らねぇ。業病に対する世間の差別を骨身にまで沁みて知る父子だからこそ、そこに、あえてたがいに知らないと言う情愛があるんじゃないか? 最高の善人ですら、割って入ることの許されない二人のつながり。父子であることは、善悪を越える。

 なーんてったって、わかんない人にはわかんないんだろうなぁ。だから、どうでもいいリメイクが何度も作られる。そんなことして、この事件の大きなトリックを仕掛けた真犯人である世間というものを隠匿して、いったいなにがおもしろいのだろう。我賀一人の犯罪に押しやれば、世間は安泰。差別も、なにも、なかったことになる。でも、それこそまさに差別の構図そのもの。それに気づかぬ連中とは、それこそ関わりあいたくないな。