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文体と文痴

 文章や小説の書き方の本はおもしろい。内容がどうこう以前に、文章の書き方を書いているやつの文章をさらさなければならないからだ。なるほどこいつなら語れるな、というのもいれば、おいおい、おまえがまずどこかで勉強してこいよ、というのもいる。形容詞は使うな、なんて書いてある本は、まずダメ。そのうえ、その例が「きれいな花」だったりする。「きれいな」は形容動詞だ、ボケっ!

 文章は、呼吸だ。もちろん、接続詞や文頭副詞の後には句点を打つ、というようなルールはあるが、どういう言葉をどういうところで使うかは、その書き手の生き方そのものであって、体裁を取り繕っても、まあ、結婚式のタキシード、程度にしかなるまい。運動だと、基礎体力と言って、どのスポーツでも全身の筋トレを行うが、文章となると、携帯でメールを打っている程度でも、自分は書ける、と思うらしい。初めて小説を書いた、なんていうやつを見抜けずに賞を出す連中もどうかしている。

 何万ページ、何億字、書いて、ようやく自分の呼吸が整う。無理のない息づかいができるようになる。あえてあらぬ話へ飛ばしたり、こまごま隅をつついたり。サッカーでもなんでも、同じじゃないのか? ボールを蹴れるだけでサッカー選手になれるなんて思うのは変じゃないか。なんて、言ってみても、世に音痴ならぬ文痴はあまりに多い。音感のような文感がないと、文体ということ自体がわからないかもしれない。