大学の感性

 どうせに行くなら、頭の良い大学、と思いがちだ。もちろん、そのことも大切だろう。実際、バカは移る。とくに若いうちは。しかし、どんなバカでも、年とともに直るし、むしろ若いうちは、バカをやっておくことも大切な勉強だ。一方、もっと問題なのは、性格や感性。若いときに大学でねじ曲がってしまった性格は直らないし、鈍ってしまった感性も、取り返しが付かない。

 大阪芸大の節電ポスターは、プレヴェールの「夜のパリ」だぜ。夜、3本のマッチを、1本目は君の顔、2本目は君の目に、そして最後で君の唇を見つめる、その後の闇がすべてを思い出させ、私は君を抱きしめる。ここで言う「君」は、擬人化されたパリという愛しい街そのもの。こういうときに、さらっと、こういう詩を挙げてくるやつらがいる大学は、とんでもなく良い大学だ。意味がわからなくても、若いうちに、美しい言葉、美しい思いには触れておくべきものだ。

 ところが、若いときに変な大学に行ってひねくれてしまった私は、すぐにこのポスターの下に、うろおぼえの寺山修司の歌を、いたずら書きしたくなる。太平洋に散っていった若き兵士たちに捧げた歌。マッチ擦るつかの間、海に霧ふかし、身を捨つるほどの祖国はありきか。寺山を卒論に選んだ友人は、当時、あの大学では院には進学させてもらえなかった。いまは立派に偉くなっているのだが。