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日本語が死んでいく

 言葉は、その人そのものだ。人は、自分の存在を賭けて語る。この言葉がウソであったなら、それを語った私をなじれ、と。ところが、匿名の言葉は、ウワサのように宙を漂う。それどころか、平然と顔を世間にさらして、ウソや建前、空約束を振りまく人々もいる。彼らが何を言っても誰も信じない。怒りもしない。泥棒に泥棒と言ってみたところで虚しいからだ。言葉の泥棒は、言葉の重みを盗む。

 こんなことを続けていれば、やがて日本語で書かれたもの、語られたものは、だれも言葉としては読まなくなるだろう。それは、場つなぎの言いわけ。体裁を取り繕う社交辞令。間を持たせるためだけの間投詞のようなもの。声はあっても、聞くべき意味が無い。なにか言っているな、と聞き流し、相手の言葉が途絶えたら、なにを言っていたかなどおかまいなしに、自分もまた、意味も無い言葉を羅列し続ける。

 やがて言葉は、重みもなく、存在の厚みさえも失い、ただ透明な幕になっていく。その幕は、しだいに層をなし、人と人とのつながりを妨げるためだけの不信感の壁となる。そんな壁を作るくらいなら、もうなにも言葉など語らない方がましなのかもしれない。