受難週の始まり

 枝の主日。今日から受難週だ。例年に比して、今年はとくに復活祭が遅い。なんともイヤな感じの年回り。世界を見れば、もはや広島、長崎と並んで、「FUKUSHIMA」は被爆地ということになってしまっている。春だというのに、作物の植え付けができない。『沈黙の春』が現実のものとなってしまった。

 立春にエジプトのデモの放送で青ざめた馬を見たが、あの後、この国にも、こんなことが起きるとは思いもしなかった。べつに預言どおりになるなどと思ってはいないが、封印が解かれてしまった、というのは、こういうことなのか、とも思う。これからこの国が良くなるようには思えないし、それどころか、ぐずっと、もう一段、悪い方に滑り落ちる気がする。それが何であるか、など、わからないが、いまさら理屈で納得できるような事態ではないところに突き進んでいる気がする。

 そんなの気のせいだ、もっと前向きに考えよう、と言うかもしれない。しかし、前、というのが、そもそも本当に前だったのかどうか。放蕩の限りを尽くしてきた繁栄だが、そろそろ後に帰ってもいいのじゃないだろうか、と思う。我々は、いろいろなことに、あまりに手を広げすぎた。世の中には、取ってはいけないリンゴの実というものもあったはずだ。