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原子力より人間こそ恐ろしい

 私が学生の頃、ラッセルをはじめとして、原子力は哲学の主要テーマだった。とくに日本では、多くの科学者たちも、被曝敗戦国における原子力での復興の問題について、真剣に語り合っていた。ところが、バブルとともに登場した団塊世代は、哲学も、科学も、仲間内だけで褒め合って、科研費をちょろまかすことばかりに奔走。原子力研究自体も、量子力学で頭打ちになって、もはや学生もまったく集まらず、学科としてつぎつぎと潰れていった。

 ソ連チェルノブイリとともに崩壊した後、日本中のマルクス主義経済学者が、レギュラシオン理論などを隠れ蓑にして、その後も大学に居座ったように、原子力の連中の多くが、世界的に話題となりつつあった地球温暖化の問題に飛びついた。つまり、地球温暖化だから原子力なのではなく、自分たちの生き残りのために、環境問題を利用しただけ。十年前に同じほどの膨大な資金を別のクリーンエネルギー開発に投入していれば、もっと別の可能性もあったかもしれない。

 安全だ、安全だ、と言っているうちに、我々は原子力に対する畏怖を失った。原爆を知る戦中世代の真剣さを失った。いままだ大丈夫だなどというやつらがいることこそ、まったく大丈夫ではないことを示している。