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「防災」から「容災」へ

 無病息災をもじって持病息災なんていう言い方があるが、きょうび、これだけ人間が長生きになると、体のどこかしらに問題がある方が当然になってくる。「完治」でなくとも「寛解」、すなわち、病気があっても暴走しておらず、臨床的に薬や定期検診でコントロールしうる状態なら、まあ、いいか、という発想だ。

 日本は高度経済成長で、東京への極端な一極集中が進み、人口流出する地方に対しては、とにかくなんでもいいから公共事業でカネを落とそうという政策が半世紀以上も続いてきた。こんなとこ、どうみたって、人が入っちゃだめだろ、というようなところでさえ、裏山を固め、堤防を盛り、さらには大量消費社会のゴミで埋め立て地を作って、可燃爆発物だらけのコンビナートを建設してきた。結局のところ、技術へのうぬぼれだ。

 じつは、日本全国、海抜5mのところに旧道があり、神社などは、かならずこれより上にある。そこに米を奉納していたのは、昔の人の知恵だろう。この国にいるかぎり、火山も地震もある。台風や洪水もある。しかし、それで温泉も出るし、肥料をまかずとも田畑は肥えた。まさか火山をコンクリで埋めようなどというバカはいまい。へたにあらがっても傷は深まるだけだ。防止より容認。不便面倒も多いが、その方がこの国に暮らす幸が得られる。