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自分に誇れるかどうか


/乞食にもプライドはある。一方、有名作家でもパクリではうしろめたかろう。仕事で人は褒めてはくれない。しかし、それで世の中と関わっているのであれば、ただ自分自身の誇りとして、きちんとした仕事をやり遂げたいものだ。/



 海外の街にはいまでも数多くの乞食がいる。もちろん、飲み代を稼ぐだけという自堕落な即席乞食も多いが、昔ながらの伝統的な乞食には、こちらが威圧される。彼らには彼らのルールがある。まず、敷物はなし。石畳のうえに直接に座っている。顔は上げず、皿かコップを持ち、前に差し出したまま宙に浮かす。手やひじを地につけることはない。これで眠ってはいないことを示している。この姿勢で、まったく動かず、ただ無言で座っている。小銭を得ても、軽く頭を下げるだけ。彼らのその独特のプライドを前にすると、ただ忙しく動き回っている我々の方がなぜか気恥ずかしくなる。彼らは、見るからに老い、見るからに弱い。だが、彼らがいると、その通りは治安がよくなる。子供でさえ、小さなゴミを投げ捨てることもはばかられる。つねに彼らがつねにそこにじっと見ているのだ。

 一方、日本で本を読んでいると、あまりにもたびたび内外の書物からの盗作に出くわす。いや、盗作などという水準ではない。一章まるまるそのまま。それが、コンビニでまで売られている著名なベストセラー作家だったりする。マンガに人の作品からトレースした絵を使っているなどというのは、いまや珍しくもない。ましてそのプロットに関しては、さほど有名ではない古い小説や映画からのパクリが大量にある。編集者が不勉強、というより、話が作れないくせに人気だけある作家に教唆した主犯だったりする。ハリウッドで映画化、などと騒ぎながらボツになるのは、おうおうにこういう著作権絡みの話。

 夏の猛暑の日中、首のタオルで汗をぬぐいながら、建設工事に働く人がいる。冬の厳寒の深夜、ニンジン棒を振り続け、道路迂回を促す人がいる。早朝、まだ明け切らぬ夜に、家々に新聞を配るために自転車をこぎ出す人がいる。その時間、コンビニでは、店員が、いつ客が来てもよいように弁当やパンをきれいに棚に並べ、病院では、医師や看護師が、容体の急変した患者のために廊下を走り回っている。サービスエリアでは、長距離を走ってきた運転手が、時間調整のための短い仮眠を取っている。タクシー会社は、運転手が一日の勤務を終え、車を洗っていたわっているころだ。他方、電車やバスの会社では、点呼、点検が始まる。人が、朝起きて、仕事に行き、家に帰っても安心して暮らしていけるのは、こういう多くの人々が、黙々と自分の仕事をこなしてくれているからだ。

 だれかが褒めてくれたりはしない。それどころか、他人は、それが当たり前だ、と思っている。それで、カネをもらっているんじゃないか、とさえ言う。なにかほんの小さなミスでもあれば、火がついたように責め立てる。しかし、それだから、ミスがないように働いているのではあるまい。自分のプライドのためだ。

 ずるいことをすれば、世間は騙しおおせても、少なくとも本人自身は、それがずるであることを知っている。ろくに働いてもいないくせに、忙しがって破格の給与をもらっても、うしろめたいだけ。いや、おれの1分1秒は、それだけの価値がある、などと言い張ってみても、言った端から、くちびるが寒い。しかし、会社にはそれだけの貢献をしている、などと言うのは、世間にはそれだけの貢献をしていないこと、自分の会社そのものが社会的にいかがわしいことを自覚していればこそだろう。

 自分が生きて、いま、この仕事をしている。この仕事で世の中と関わっている。だから、一日の勤めを終えたなら、どんなに疲れていても、背筋を伸ばし直し、笑顔で、お疲れ様でした、お先に失礼します、と、大きな声で言える誇りを、自分の仕事に持ちたい。