読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いまさら武士道など知ったことか!


/忠君のために家族さえも犠牲にする。聞こえはいいが、結局は、自分一人の保身と体面のために、かってに家族をも利用しているだけ。孔子の教えでは、法に背き、世を敵するとも、生きて家族を守れ、であって、滅私奉公ではない。/



 901年、文章博士から右大臣右大将にまで昇り詰めた菅原道真は、貴族たちの反発を買い、冤罪を被り、太宰府に流された。だが、これに先立ち、道真は、不義密通の罪で破門し、いまはしがない寺子屋の教師に落ちぶれている武部源蔵に、秘伝の筆法の巻物を授け、息子をかくまってもらった。しかし、追っ手は、この寺子屋にも迫る。源蔵は、悩んだあげく、道真の子を守るため、罪もない別の子、つい今朝、入門してきたばかりの品の良い子の首を斬り落とし、道真の子と偽って追っ手に差し出した。ところが、追っ手の中には、道真の恩で位を得ながら、今はやむなく貴族側に仕えている松王丸がいた。やつは、道真の子の顔を知っている。にもかかわらず、松王丸は、そのニセモノの子が道真の子に相違ないと言う。しかし、その子こそ、じつは道真の子の身代わりにするために、松王丸自身が寺子屋に送り込んだ彼の実の息子。みなが引き上げた後、松王丸らは、かつて我が子に教えたいろは歌で、不憫なその霊を弔う。

 『菅原伝授手習鑑』。「せまじきものは宮仕え」の出典だ。義理と人情の板挟み。忠君のためには我が子の命さえも差し出す。むろん、この話は江戸時代に作られたフィクションで、平安時代にはまだ寺子屋などない。とはいえ、それまで自営だった貴族たちの自立の途を絶ち、絶対天皇制の官僚機構の下に組み込んだのは、ほかならぬ菅原道真。だからこそ、彼は貴族たちに激しく憎まれたのだ。

 江戸時代においても、すでに経済力をつけてきていた町人たちは、この芝居を見て、涙しつつも、ああ、うちは侍でなくてよかった、と安堵した。実際、このころの武士ときたら、下っ端はもちろん、大藩の大名まで、すでに借金にまみれ、日々、喰うにも困るありさまだったのだ。にもかかわらず、忠君だ、武士道だ、と、プライドばかりが高く、にっちもさっちも行かぬ。たとえば、食い詰め浪人ですら、副業でさえ、人が足で踏む下駄は作らず、人の頭の上に乗る傘貼りしかやらなかった。

 しかし、忠君の教えは、幕末の教育熱を経て、明治では一般庶民にまで広げられる。まして徴兵で軍人に採られれば、だれもがみな「もののふ」。国には命も捧げるのが当然となった。戦後、日本は民主化されたとはいえ、統一国家が個別会社になっただけのこと。「滅私奉公」や「愛社精神」「社畜」などの思想は、そのまま残った。

 英国でも、産業革命の後、オーナーに代わって会社を経営管理する中産階級(ミドルクラス)が登場する。彼らは、学歴や職歴、時間や服装、言葉遣い、家族関係などがきちんとしている「リスペクタビリティ」こそが売りもの。それを身につけていることによってのみ、一般労働者とは別格の高給で雇用される。ミュージカル『マイ・フェア・レディ』でも、酒びたり、ギャンブル漬けながら、貧民窟の生活を謳歌しているヒロインの父が、ルールでがんじがらめのミドルクラス・モラリティをちゃかしている。もっとも、彼も、ヒロインの師である教授の冗談によって、独創的な自由主義倫理思想家として社会的に大成功してしまい、かえってミドルクラスの仲間に入れられてしまうのだが。

 家庭崩壊、過労死。松王丸も、結局は自分の保身、自分の体面のために、自分の子を自分で殺したというだけではなかったのか。そもそも、孔子の教えでは、まず家族。法に背き、世間を敵にまわすとも、地に落ち、顔に泥を塗られるとも、みずから生きて家族を守れ、だ。どこかに、自分たちの都合に合わせて、倫理をねじ曲げたやつらがいる。