哲学者学は哲学ではない

 渡辺二郎先生の著作集を出すから買ってくれ、という手紙が来ていた。まあ、図書館などには売れるだろうが、しかし、ああいうのを、自分の著作集だ、などと言うのは、専門研究者として恥ずかしくないのだろうか。哲学では「デコンストラクション」とかなんとか言っているが、アートでは、それを「マッシュアップ」と言う。ようするに、他人の作品を切り刻んで、組み直して、自分の作品にしてしまう手法だが、結局のところ、元のアーティストがビッグネームでないと成り立たないことがわかってきて、いまやそんなものにだれも独創性を認めていない。

 とはいえ、この手法は、「パーワーポップ」をでっちあげるのに、手っ取り早い。桑田佳祐など、自嘲気味に、自分の作品は、みんなそんなのだ、と開き直っている。彼の歌の詩はキャッチーな言葉の寄せ集めだが、あのメロディも、同じしかけで作られている。

 それをやれば、シロウトだましに売れる、儲かるのは、技術的にわかっている。だが、そんなことをするのは、プロのやることではない。そのプライドを失ったら、プロではあるまい。人間として卑屈になったら、学者である以前に、自分の存在そのものを失う。その動機まで読めてしまうと、ああいう著作(?)を「自分」のものとして出そうとするのは、あまりに痛い。