ハッドリーバーグの幸運な善人

/自分がやってもいない善行の褒美であろうと、もらえるとなれば、人は平気で自分のものだと言い、周囲とも争う。しかし、それは、運命の罠。人を責めて、語るに落ちる。むしろ善行をしてこなかったことこそ悔い改めるべきだ。/



 いまから百数十年前の米国中西部。そこは、線路が終わる町。ここから先は、馬か徒歩だ。しかし、大勢の人々が、引きも切らずに東からやって来て、いまだに一攫千金を夢見て、西へ、西へと旅立っていく。そして、この町は、これより先に店などない、と言って、そういう人々から最後の1セント硬貨までむしり取っていた。

 そんな町に、ある日、奇妙な重いトランクが届けられた。町長や保安官、駅長、校長、郵便局長、銀行支店長、売春宿の主人まで、町の名だたる人々が教会に集まる。牧師がトランクの上に張られたメモ書きを読み上げる。私は、以前、自堕落な生活をしていて食い詰め、この町に流れ着いたが、ある方に、食べ物を恵んでもらって命を助けられ、ありがたい言葉をいただいて魂を救ってもらった。おかげで、その後、私はカリフォルニアで金鉱を掘り当て、いまではありあまる財に囲まれている。ぜひ、その方に御礼がしたい。来月末、教会で、このトランクを開けてほしい。中には、あの時のありがたい言葉を書いた紙が入っている。トランクを開ける前に、正しくその言葉を言いえた人が、その方だ。この中身すべてを差し上げる。

 この話は、なぜか全国の新聞にまで記事として掲載され、ハッドリーバークの幸運な善人として全米中で大騒ぎになった。だが、町の人々は、ひそひそと話し込んだ。こんな因業な町で、人になにかを恵むようなおめでたいやつは、あの酒びたりの酔っぱらい、グッドソンくらいだろう。だが、やつも、だいぶ前に死んだ。となると、いったいあのトランクの中身は誰のものになるのか。

 果たして当日、町の人々はもちろん、あちこちからその幸運な善人を見ようと野次馬たちが教会に集まってきた。牧師が問う、その言葉を知る者は? すると、町長や保安官、駅長、校長、その他、さらには牧師自身さえもが、封筒を高く掲げたのだ。これらを開けると、いずれにも、悔い改めよ、と書いてある。名士たちは、たがいに罵った。おまえらは私の封筒をのぞき見て、やってもいない善行の褒美を奪おうとしている、と。

 つかみあいのケンカが始まろうというとき、その様子を離れて見ていた売春宿の主人が、とにかくトランクの中を見てみようではないか、と言った。みな、すこし冷静に戻って、慎重に開ける。革袋の上に、紙切れがひとつ。そこには、たしかに、悔い改めよ、と書いてある。ふたたびケンカ。それを売春宿の主人が必死に止める。すると、彼のポケットからも封筒が落ちた。なんだ、おまえも同類か、と、さらに乱闘。

 しかし、彼の封筒を拾って別の者が読み上げた。死んだグッドソンから、あなたにこの言葉を伝えるように頼まれた、悔い改めよ。これで野次馬たちにも謎が解けた。ほかの名士たちも、じつはみな同じ手紙を匿名の誰かから受け取っていたのだ。野次馬たちは、ウソをつかなかった宿の主人こそ、褒美を受け取るにふさわしい、と言って、革袋の中身を彼の前にぶちまけた。ところが、それは砂ばかり。ただ一枚、カリフォルニア銀行の持参人払い、四万ドルの小切手が。宿の主人は、それを拾うと、笑ってすぐに破り捨てた。こんなものを持って行ったら、向こうでどんな目に遭うか、わかったものじゃないよ。

 これは、マーク・トウェインの作った寓話。ほんの心の隙にでも、この小切手を持って行ってみようかと思ったなら、あなたも同罪。やってもいない善行に、まともな褒美などあるわけがない。やってもいない仕事に、まともな報酬などあるわけがない。