意識改革は人事一掃にしかず

/昨日まで腐敗そのものだった上司たちが、新しいトップとともに、部下たちに意識改革しろなどと言っても、だれも本気にはしない。古いシステムで昇格した管理職こそが病巣。社風を変えるなら、連中を社外に放逐処分するのが先だ。/



 なぜ人は右手で握手するのか。心臓が左にあるから? たぶんウソだ。たとえば、車など、左側通行の国もあれば、右側通行の国もある。重要なのは、その地域、その時代の大勢に逆らうことはできない、ということ。私はもともとは左利きだが、はさみや電話機、カメラに始まって、駅の自動改札からなにから、やたら突っかかる。それで、おのずから両手利きになった。相手がみな右手で握手を求めてくれば、左利きであろうと、右手を差し出す。そればかりか、やがて自分もまた、人に右手で握手を求めるようになる。

 国民国家、株式会社の隆盛から百年。日本の戦後で五十年。その淀みのために、どれほど多くの俊英官公庁、民間名門企業が内外で自滅破綻することか。しかし、その記者会見の様子などを見るに、こんな連中が上層にいたのでは、かくなることもやむをえまいと納得させられる。上司は、自分より仕事ができるというだけですら、その部下を嫌う。まして、自分よりクリーンな部下を推挙したりしない。むしろ自分の不正の隠蔽の手助けをするような走狗ばかりを身辺に侍らし、共犯同罪で縛り付けて、派閥の結束を為す。おれになにかあったときは、おまえらもクビになるぞ。誠心誠意、おれについてこい、と。だから、彼らと握手したことのある者は、すでにみな手に汚れが染みついている。

 組織の沈没が不可避という状況に及んではじめて、外からトップを連れてきてなんとか、という話になるが、しかし、そんなダテめがねのようなものを鼻に乗せても、どうにもならない。その横に居並ぶ部長たち、前に出て盛大な拍手を送っている課長たちこそ病巣なのだから。意識改革を、などと叫んでも、派閥力学と不正隠蔽こそ、自分たちの存立基盤。たとえ組織が沈没しようと、なにもしない。むしろ組織をうまく沈没させて、自分たちのこれまでの悪行三昧をきれいに闇に葬ろうとさえする。旧東独の末期など、まさにこれ。インチキ企業の最期も、証拠隠滅に追われ、深夜や早朝、課長たちが膨大なシュレッダーのゴミの山を自分の車でひそかに運び出し、街々で捨て、野山で焼くことになる。

 社風などというものは、企業のどこかを漂っているのではない。管理職者として実体化しているのだ。『論語』に、直材を歪材の上に載せれば、その重さで下のゆがみもなおるが、その逆では直材さえ曲がる、と言う。すでに傾いた企業に、朱に染まってしまった連中を漂白している余裕はない。従業員の四割、これまでの腐敗システムによって昇格してきた中間管理職まで放逐し、二割を真水の新人で補填しなおすくらいでないと、社風は変らない。要は、改革側が絶対的な大勢になるのでなければならない。

 良くも悪くも歴史上の大変革が成功してきたのは、旧体制の人々を皆殺しにしたから。内部に残せば、かならず秘かに反動復古を画策する。しかし、中で争っていれば、外から食いものにされる。組織のために尽くしてきたのに、それではあまりに酷だ、と言う人もいる。だが、彼らが言う「組織」は、じつのところ、自分の親分閥、組織内勢力のことであって、そういう私兵軍団によって、むしろ組織を食い散らかしてきたからこそ、このザマに至った。

 池を澄まそうと思うなら、まず、水面に浮いているゴミを拾い集めて捨てる。ついで、沈んでいる廃棄物を掘り出し、溜まっている汚泥を掻き出す。冷酷、独裁と言われようと、事の成否は、韓非子の言う「信賞必罰」、旧体制関係者の絶対処分にかかっている。現状維持がもはや不可能であれば、外部勢力もいまは復古側には荷担しない。