プロの自信としての営業スマイル

/新人は最初に笑顔を作ることを教えられる。だが、やがてそれが自分自身の自信の顔となり、営業マインドも身につく。仕事が顔を作る。日々、自分の表情を確かめ、心に立派な笑顔のシワが刻み込まれるようにしたい。/


 販売業でも、接客業でも、新人が最初に徹底的に仕込まれるのは、妙な作り笑いのしかた。いーっと言ってみなさい、とか、一日中、割箸をくわえていろ、とか、教えられ、日に何度も鏡を見ては、きちんと高く口角が上がっているかどうか、チェックさせられる。次には、目が笑っていない、と難癖をつけられ、眉間を開く練習。いよいよ変な顔になっていくのが、自分でもわかる。とはいえ、勤務時間はもちろん、休日まで、四六時中、こんな顔をしていると、だんだんサマになり、さらには、ちょっと首を傾け、30度ばかり回したビーナスポジションで、ニコッと、決め顔ができるようになる。モデルさんみたい、と、悦に入ってきて、こんどは、これでだれかれかまわず悩殺したくなる。

 でも、作り笑いなのだから、ニセモノでしょ、と言うかもしれない。しかし、そんなのは、新人だからだ。それは、いくら営業マンがスーツにネクタイでやってきても、それが七五三のお宮参りのように板についていない若造では話にならないのと同じこと。現場のヴェテランのほほえみは、媚びや甘えの小ずるい笑顔とはまったく違う。そこには余裕の力強さがある。多少の無理な相談でも受け入れ、うまく解決してみせる、という自信を感じさせる。客が惹かれるのは、まさにそこだ。

 表情と本心の二つがあるのではない。営業スマイルにおいては、本心もまた営業マインドに切り替わっている。最初は練習で作った表情であっても、その練習をしようと真剣に努力してくると、やがてそれが自分自身の仕事の顔になる。そういう人物は、表情だけでなく、プロとしての心配りその他も、同じように長年の練習と努力によって、ぬかりなく身についているものだ。

 男でも、女でも、仕事が顔を作る。精神が表情を為す。生ぬるいことばかりやっていれば、表情も、だらけた、しまりのない顔になる。卑怯であくどいことばかりやっていれば、眉間に縦の二本シワが刻み込まれ、心の動きを人に見せまいと、顔を伏せて人を見上げるような金壺マナコの三白眼になる。逆に、人に恥じることのない人生を送り、自分らしい仕事に努めているなら、天から招命を受けたかのごとく、背筋も伸ばし、顔を上げ、何事も笑顔で受け入れられるようになる。

 若いうちは、化粧でごまかしも効くかもしれない。また、美容形成手術などで、肌に張りを出して、若作りをすることもできるかもしれない。だが、いい年をして、まともなシワの一つもない人間を、だれが信用しようか。顔が作りものであるくらいだから、それこそ、そういう人物の自称の経歴や能力もウソまみれ。それを承知で、おもちゃとして、からかっておもしがるのもいいが、本気でその人の心にまで関わるに足る相手ではない。

 田舎の農村に行くと、しばしば、日焼けした顔に深くみごとな笑いシワが刻み込まれたおじいちゃんやおばあちゃんに出会う。一朝一夕では、ああはなれまい。長く生きてきていれば、いいことばかりあったというわけでもあるまい。どんなことでも、いったん口を硬く結び、一呼吸をついて、進んで笑顔で受け入れてくればこそだろう。思わず、みごとな畑ですね、と声をかければ、ええ、おかげさまで、と、気さくに応えてくれる。

 都会でひねくれた人間ばかりを相手に仕事をしていると、ああいうすてきな顔になるのは難しいのだろうか。いや、不可能ではあるまい。心は顔に出る。鏡で自分の顔を見て、自分の日々の覚悟の程をよく確かめ、いつかは心に立派な笑顔のシワを刻み込みたい。