他人の応援より自分が走れ

/組織はいまや逆三角形。指示や応援をする連中ばかりが上に乗っかり、現場は辟易。それで、本人も憂さ晴らしにスポーツや芸能の応援というのではどうか。重要なのは、自分自身が走ることだ。/



 子亀の背中に親亀乗せて、親亀の背中に爺亀乗せて。シャレではない。いまの会社の正社員の年齢別人口構成は、もはや逆三角形になっている。わずかの部下に上司が乗り、その上に上司の上司が乗り、その上に上司の上司の上司が乗っている。そして、そのそれぞれが、そのつど、てんでバラバラに現場に指示を出す。係長が、これをあっちに持っていけ、と言うからやっていたのに、そこに課長が来て、いや、こっちじゃない、そっちだ、と言い、やり直していると、通りかかりの部長が、おまえら、そんなことより、あれはどうなった、と言い出す。組織論から言えば、現場が、直属上司を飛ばして、かってに上司の上司に話を持っていってはいけないのと同様、上司の上司も、現場に言いたいことがあれば、まず自分たちの直属上司に言ってくれ、と思うのだが、そんなこと、偉い当人に面と向かって言えるわけがない。

 スポーツ関係でも、そうらしい。派遣団において、実際に試合に出場する選手よりも、コーチたちや監督、役員たちや会長の方が人数が多かったりする。それも、コーチたちや監督、役員たちはビジネスクラスで、会長はファーストクラス。一方、体格のよい肝心の選手たちは、きつきつのエコノミークラスで、着くまでにへとへと。そして、激励と称して、会場に来てまで、とにかく落ち着け、とか、死ぬ気でがんばれ、とか、肩の力を抜け、とか、気合いで戦うんだ、とか、好き勝手にデタラメな助言をする。それぞれに、はい、はい、と、応えるが、そんなどうでもいい人間関係に気を遣っている暇があれば、せめていまくらい、試合に集中させてくれ、と思うことだろう。

 戦後の焼け跡から会社を興したばかりで、トップもまだ現役の三十代、という時代なら、こんなことはなかった。だが、太平の世が続き、会長が八十代で、社長が七十代、役員はすべて六十歳以上、それも、団塊世代やバブル世代が、系列子会社に天下りもせず、ごっそりと中に残っている組織ともなれば、巨大なOB会の通用門の脇に小さな現業部門が付属しているようなもの。せめてOB会の中の上下関係で話を整理してくれれば、と思うのだが、連中は現場に直接に口を挟んでこそ、先輩づらもできるというもの。

 とはいえ、その憂さ晴らしに、今度は自分が野球やサッカー、アイドルの応援、というのもどうか。彼らは仕事でやっているのだから、きみが応援しなくても、がんばるに決まっている。むしろただ人にムダに応援させて、カネを巻き上げているだけのことだ。もちろん、ある程度の年齢になって、趣味程度に選手や馬の応援を楽しむのもいいが、余裕があるわけでもない両親のできるかぎりの応援でかろうじて学校を出してもらったような者なら、あくまでまず自分自身こそが全力で走るべきだろう。実際に、きみには、その期待とともに、教育費や生活費、総計一千万以上ものカネが賭けられているのだ。

 親切ぶってきみの応援をペラペラと口にするような上司たちは、どうでもいい。そんな連中は、裏でなにをするか、わかったものではない。だが、きみの将来を信じ、白紙委任をしてくれた両親の無言の応援は、裏切るには、あまりに重い。きみの母校の恩師たち、きみの故郷の友人たちも、きみなら自分の夢を自分で掴み取れると信じ、きみのことを応援している。また、会社の中にも、遠くから黙ってきみのことを見守ってくれている人もいるものだ。きみは、すでに多くの人々の期待を背負って、この現実に出走したのだ。そのまなざしを思い出すなら、いまここで立ち止まっている場合ではない。