不正を責めずに手抜きで逃げる


/むちゃくちゃな状況にあっては、自分一人まじめになんとかしようとしても、かえって逆恨みされ、抹殺されてしまうだけ。むしろ目をつけられない程度に適当に手抜きをして、そこからの脱出の方法を工夫した方が現実的だ。/


 内外から幹部候補と目されていた人物が、大規模な人員整理の実行を命じられた。だが、経営状態はさほど危機的でもない。調べてみれば、どうやら現社長が、自分の息子に世襲させるため、社内を一新したいらしい。ということは、リストラをする自分も、遠からずリストラされる。それに気づくと、彼は、手厚い退職金割増制度を整え、あえて有能な人材から順に説得していった。そして、予定の人数に達すると、その最後の一人として、自分もまた辞めた。数ヶ月と置かずして、彼の慰労会が開かれる。だが、開いたのは、会社の人々ではなく、彼によって辞めさせられた連中。この席で話が盛り上がり、割増分の退職金をみなで持ち寄って、彼を中心に新会社を興す話がまとまった。

 こんな話もある。ある収容所でのこと。新しい建物の建設が命じられる。自分たちはすきま風だらけの木造バラックなのに、なぜ敵兵たちのために立派な施設を作らなければならないのか、と思いつつ、手抜きでいいかけんにレンガを積み上げる。そして、配管。シャワーだかなんだかしらないが、向こうのタンクから、こっちまで凍った土を掘り、適当につなぐ。ところが、できあがると、兵士たちがタバコをくわえながら、ニヤニヤと、おまえらが使え、と言う。いやいや中に入って、タンクの栓が開けられたとたん、ボン! かんたんに壁は崩れ、そこから外に出てみると、敵兵たちが倒れて、その救護で大騒ぎ。どうやら配管の継ぎ目から毒ガスが吹き出し、それにタバコの火が引火したらしい。

 さらにまた、こんな話も。一五八五年、日本から少年遣欧使節団がローマに着いたとき、カトリック教会は、プロテスタント教会との対立、内部腐敗と権力闘争でぐちゃぐちゃだった。まともで力のある連中は、次々と左遷され、暗殺され、悪辣な枢機卿たちは、もっとも自分たちで操りやすい、すぐ死にそうな教皇を立てようと、六五歳ながら、もはや立つこともままならぬほど耄碌した仲間の一人を推挙した。ところが、シクストゥス五世は、即位するやいなや、杖を投げ捨て、背筋を伸ばし、聖火を大声で歌い上げて、これまで自分の目で見てきた枢機卿たちの不正を暴き立てて、一気に教会改革を推し進めた。

 会議などの席上で、まぬけな担当者の間違いを指摘し、自分の実力の程を示す、というのは、じつはそれほど難しいことではない。だが、そんなことをしても、よほどのワンマン社長でも同席していない限り、実力が認められ、幹部に抜擢される、などということはない。それどころかむしろ、恥をかかされた担当者、また、自分の頭を飛び越えられそうな連中が、その後、束になって、陰に、陽に、嫌がらせの集中砲火を浴びせ始める。

 『論語』にもあるように、自分の任にあらざれば口を挟まず、また、世間に義が無ければ隠るるが宜しい。会社のため、良かれと思って意を尽くしても、だれも会社のことなど心配していないのだから、ただ逆恨みされるだけ。そんなところで、トップでもないのに一生懸命になってみても、なんの実行権限もないのだから、どのみち会社は良くはならない。それより、倒壊の下敷きになりたくなければ、そこから早く逃げ出せ。

 正しいことは正しいはずだ。そんな青臭いセリフが通るくらいなら、だれも苦労してはいない。不正を指摘し、相手の間違いを思い知らせることほど、人を怒らせることはない。そして、もとより怒りは、分別を絶つ。いくら説明しても聞き入れられることはない。まあ、自分のやるべきことを、目をつけられない程度に適当にやって、妙な連中の敵意をやり過ごし、むしろ脱出のトンネル掘りに精を出し続けることこそ肝要だ。