組織は頭から死んでいく

/内部昇格制では、現場で活躍した人がトップに上がるころには時代遅れになっている。そのうえ、今後の能力の可能性ではなく、過去の業績の報償として昇格するので、上から順に、もはや業績を出せない人々ばかりで埋め尽くされる。/


 船が転覆して救命ボートで大海原を漂っていたりすると、最初にダメになる人間の臓器は、頭だとか。やたらポジティヴに、とりあえず泳ごう、などと考え、溺れ死ぬ。はたまた、飲んだらダメだ、とわかっているのに、海水を飲みまくって、かえって干からびる。せっかく救命ボートに乗れているのに、悲観して自殺してしまう人もいる。

 組織も同じ。潰れる会社の多くは、実際に潰れる前に、経営陣がとっくに潰れている。指揮命令が混乱したまま、各部門がばらばらに突撃戦をやって、満身創痍となり、傷口を広げ続け、出血多量でぶっ倒れるところまでいく。とくに日本企業は、陛下の御英断に頼らなければ太平洋戦争を止められなかったころから、まったく進歩していない。

 なぜ日本企業は頭からダメになっていくのか。本来の資本主義の論理でいけば、経営陣の能力に疑問が呈された時点で、株主たちが別のところから有能な経営者たちを呼んできて、総取っ替えし、建て直しを図る。しかし、日本の場合、従業員から管理職や取締役への内部昇格が慣例となってしまっているために、救護隊がうまく組織に馴染まない。

 だが、内部昇格は、時間がかかりすぎているのだ。昨日、ある現場で成功した人が、今日、トップに抜擢され、明日、すべての現場をアップデイトする、というのならともかく、数十年も前に現場で活躍した人々がようやくトップに昇る頃には、世の中から完全に数十年も遅れてしまっている。そのうえ、社内しか知らず、社外では通用せず、後輩に威張り散らすだけの井の中のカエルばかり。だから、会社が危難に遭っても、人に頭を下げて助けを請うには、プライドが高すぎる。だいいち、頼む当てすら持っていない。

 米国の場合、転社昇格の方が一般的。つまり、他社のより高い地位に応募し、実力の可能性を認められて採用されることによってのみ、昇格する。ヨーロッパの場合、途中で大学に戻って、知識をアップデイトし、見聞を広めて、学位を修めてこないと、重役にはなれない。いずれにしても、困ったときに頼れる外部の広い人脈がある。

 トップだけではない。日本は、昇格が報償であるために、過去の業績のみで判断され、昇格する上の職位で業績を出す能力があるかどうかを問われない。だから、それ以上の昇格にたる業績を出せないところまで、みな昇格してしまう。まさにピーターの法則。このため、すべての職位は、もはやその職位ではまったく業績を出せない人々だけで、上から順に埋め尽くされていくことになる。そして、やがて全身梗塞状態。

 なんとかせねば、ということで、人事部は、外から優秀な人材を呼び込もうとするが、いくら厚遇でも、硬直しきった会社のリハビリに、あたら能力を費やすのを好む者はいない。無理を言ってようやくせっかく来てもらっても、内部にいる連中は、郷に入っては郷に従え、などと、自分たちの陳腐な悪習をその貴重な人材にも押しつけ、自分たちと同様に、例の昇格渋滞に並ばせて、結局、潰してしまう。また、貸し倒れを防ごうと、銀行などが経営に乗り込んでいっても、乗っ取りだ、と騒いで、追い出してしまう。まして、だれかが救済買収でも仕掛けようものなら、経営陣はもちろん、従業員の末端まで、毛を逆立てて、頑迷に抵抗。まるで獣医の手に噛みつくバカ犬だ。

 いまはまだ会社が立っているとしても、それは死んでいないということではない。大きく倒れて従業員や周囲の迷惑にならぬよう、せめて身ぎれいな手じまいを考えた方がよい。とはいえ、それを脳死状態の経営陣に望むのは、無理というものか。