資本主義の虹の向こうの滝壺の底

/資本主義以前から、資本を必要としない軽企業というものがある。先進国では重企業や大企業が頭打ち。それゆえ、もはやネット上でかすみのように薄い需要をかき集めてきて濃縮する個性的な人材の軽企業しか生き残れない。/


 株式や金融によって外部から資金調達し、設備投資する資本主義は、この二百年、多くのビジネスの機会を創出してきた。巨大ダムや巨大溶鉱炉を持つ国家戦略的な重企業、全国市場で量産効果を狙う大企業、ニッチの専門性を生かす中企業、小設備の高回転で生き残る小企業など。ところが、それ以前から、たいした経営設備を必要としない軽企業というものがある。屋台商売や、個人タクシー、紙と鉛筆でできる小説家など。それも、パソコンとネットの出現によって、かつてのメガストアや映画スタジオほどの事業が、ポケットマネーで始められるようになってしまった。

 本社や店舗、工場、倉庫も持つ必要がない。流通と物流の分離によって、ネット上で仕事を受け、製造はそのときどきに世界の手の空いている工場に依頼し、そこから製品を顧客に直送してもらえばいい。ちかごろぽこぽこできる出版社も、この典型。著者に書かせて、印刷所で刷って、取次に売ってもらう。むしろ相手先に出向いて調整する仕事なので、極端なことを言えば、連絡用の携帯電話一つがあれば、事務所さえも要らない。

 これでは、いくら金融緩和されても、従来の中小企業ほどにも、資本をかき集めよう、カネを借り集めようとはするまい。そんなもの、仕事に関係ないからだ。ただし、もともと資本が無いので、支払余力も無い。ちょっと行き詰まると、すぐ倒れる。しかし、特別な資金調達も、巨大な買い掛けもしていないから、取引先のギャラや実費用を踏み倒す程度。安定していないが、再開も容易で、つねに離合集散。

 むしろ、必要なのは、まるでかすみのように薄い需要を世界中から広くかき集めてきて濃縮し、暮らせる程度にはつねに確保できるノウハウ。そして、臨機応変の仕事ができる有能さ。軽企業の仕事の特徴は、大企業の製造販売のような反復性がないこと。個別の顧客の対応を含め、毎度、一回限りの仕事ばかり。たとえば、行列のできるファストフードの定番商品なら、自販機で充分。しかし、たとえば化粧品の受注となると、一人一人の話をよく聞いて、そのようすに合わせて商品をオファーしなければならない。

 先進国には、いまさら新規に重企業や大企業を興す余地など無い。一方、小企業は、機材の一時レンタルや近隣共有共用によって設備を減らし、腕一本で勝負する軽企業と化していくだろう。また、大企業などが抱え込んでいる多くの部門も、外部の軽企業へ排出される。たとえば、保険代理店など、とっくの昔からこの外注軽企業形態。受注や修理などの部門を、地方の別会社に分散委託してしまっている大企業も、すでに珍しくもない。

 人本主義、などという言葉は、すでに大企業の中でも、さんざんに使い古されてきている。しかし、軽企業では、まさにそれだけ、それしかないのだ。腕がよく、愛想もいい店主が屋台を切り盛りすれば、それだけで繁盛する。だが、そうでなければ、まったく成り立たない。大企業同士の話なら、間に銀行も入って、儲かるか、儲からないか、で決まるかもしれないが、ビジネスの規模が小さく、支払信用も無いとなると、メールのやりとりにさえ、双方の責任者の人柄の問題が表面に大きく出てくる。

 大量生産大量販売の大企業向けに規定マニュアルを正確にこなせる画一的な人間ばかり作ってきたこの国は、個性的な個人事業主やタレント事務所の離合集散体のような次の経済社会に向けての人材教育をほとんど手がけてこなかった。これに対応できるようになるには、まだ十年はかかるだろう。しかし、もはや時代が後戻りすることはないのだ。