現実は情報に優るはずだが

/棚卸や決算において帳簿と実際を突き合わせると、なぜか合わない。従業員や製品でさえズレがある。ところが、人間は、情報よりも現実の方がまちがっていると疑う。とくに能力に関し、ズレを正しく認識しないと、大ケガをする。/


 夏のバーゲンも終われば、棚卸の季節だ。実際の商品すべて帳簿の突き合わせをする。これがけっこうな重労働。しかし最近はみなPOS(販売時点管理)だろう、と思うかもしれない。たしかに計算上は、仕入数から販売数を引いただけの在庫数があるはずだ。ところが、実際に棚卸してみると、なぜか商品が無かったり、まれに多かったり。

 その原因でもっとも多いのが、万引。あれだけ監視カメラだの、巡回警備員だのがいても、数%にもなることさえある。従業員が直接にバックヤードから持ち出し、闇に売り捌いていることもある。陳列時に発見された欠陥品や、顧客からクレームがついて戻された欠陥品も多い。また、店頭でのさまざまな事故による汚損や破損もある。いずれにしても、これらはインヴェントリー(棚卸資産、現物)としては、数に入らない。

 だが、商品は、まだ目で見て確認できるだけ簡単だ。決算期の帳簿の突き合わせになると、あるはずのカネがなかったり、ないはずのカネがあったり。経理が一元管理しているはずなのだが、流通(売買)と物流(商品引き渡し)のズレで、現場で売掛や買掛に化けており、それも小切手や手形になっていない口約束のようなものでは、帳簿上ではまったく認識されていないことも多い。それどころか、このズレを利用し、現場の方が余った予算を取引先にプールしていたり、逆に足りないのを融通して割り引いて使っていたり。

 昨今は、従業員も、つじつまが合わないことが多い。いない従業員に毎月きちんと給与を支払うなど、政治家でもよくやっていることだとか。逆に、実際に現場に来て働いているのに、だれがどういう条件で雇用しているのかがはっきりせず、なにかの事故の際に大騒ぎになることも。一方、正規雇用の六本木分室社長秘書など、超高級高層マンションの一室で、その子供たちまでいっしょにそこに居たりする。

 製品もそうだ。起こるはずのない故障が起こる。というより、故障が起こるはずだったら、ふつうは、最初から売りものにはしていない。だから、すべての故障は、起こりうるはずがないものであるにきまっている。

 ところが、情報と現実のズレが生じたとき、人間は、奇妙にも、現実の方がまちがっているのではないか、と疑う。数が合わないと、数えまちがいだろ、もう一度、よく探してみろ、と言う。以前、ある銀行で名前の漢字を間違えられ、訂正を求めたのだが、どんな書類を持っていっても、それでは名前の漢字が違うので、本人とは確認ができない、と言われて往生した。パソコンが故障して電話をかけたときも、変な技術者が出てきて、そんなはずはない、こちらでも同じ機種で同じことをやってみたが、ちゃんと動いた、と突っぱねる。いや、だから、こっちのマシンは壊れているようなんだが、と言っても、それはおかしい、ちゃんと動くはずだ、の一点張り。だから、さっきから、おかしいって言っているでしょ、と言っても、おかしいというのがおかしい、とか言われて、話にならない。

 最悪なのが、能力のインヴェトリーだ。子供の運動会で転ぶ親が続出する。本人は以前のように走れるつもりなのだが、すでに体力が衰え、足が追いつかない。私だって昔は、というのは、まさに昔のことで、今のことではない。企業でもそうだ。以前は業界でリーダーシップを執っていたとしても、そんなことは今の取引先にとっては鼻で笑うような昔話でしかなかったりする。今、なにができ、なにができないのか、つねに客観的な能力の棚卸をしておかないと、そのうち、身の程知らずのムチャをやって、大ケガをする。