老朽マーケティングの敗北

マーケティングには、売り手プッシュだけでなく、買い手プルや仲介ポータルもある。ネットの登場で、後者の比重が大きくなってきているのに、古い企業は、いまだに無理なプッシュをして、かえって顧客に嫌われてしまっている。/


 マーケティングは、マーケット、市場という名詞の派生語ではない。もともと、マーケットは、売買する、という動詞だ。教科書などでは、マーケティングとは、企業が市場を創造することである、などと書かれているが、これは米国の特異な流通形態から生じてしまった根本的な誤解にほかならず、この誤解が企業を土台から窮地に陥れている。

 本来のマーケティングは、3つある。1つは、いわゆる売り手のマーケティング。かつての金魚屋や豆腐屋のように、売り手が売り歩く。米国は、西部開拓に流通網の整備が追いつかなかったために、メーカー自身が直接に訪問販売や通信販売を手がけなければならず、ここでさまざまな経営手法が発達した。一方、戦後の日本では、むしろそれまで流通を通すのが当然だったがゆえに、メーカーからの顧客への米国式の直接アプローチは、革新的な経営手法と考えられ、広告宣伝を中心に、多くの企業で採用された。

 だが、売買する、という意味では、買い手側にもマーケティングはある。たとえば、ウィンドウ・ショッピング。客は、あちこちの店を見て、自分に最適なものを探す。また、仲介マーケティングもある。古くは、寺社が営繕費用を確保するために、特別な御開帳などを企画して参拝客を集め、境内の出店者から場所代を取った。それは、まさに売り手と買い手を出会わせる「縁日」。これを今日のショッピングセンターが引き継いでいる。

 古い仲介は売り手サイドの代理人型が多いが、近年は買い手サイドの代理人型が増えている。産業革命前後に登場した、服飾品や文房具を扱う英国高級品の多くは、じつはメーカーではなく、世界各地の逸品に自社マークを冠して品質保証するバイヤーブランド。60年代末に登場した後発マンガ雑誌も、徹底的なアンケートによって、読者サイドに立って新人マンガ家を厳選紹介する仲介マーケティングとして大きく成功した。

 いまやネットの検索性能によって、買い手によるプル・マーケティングや、買い手側の代理仲介者によるポータル・マーケティングが圧倒的な力を持ちつつある。とくに不景気では、バイングパワーの方がキャスティング・ヴォートを握るのは当然。ところが、戦後来の古いメーカーは、いまだに売り手側仲介の広告代理店に依存し、売り手主導のプッシュ型マーケティングに終始して、口コミ操作などの同じ手法をネット上に展開しようとし、敗退し続けている。にもかかわらず、マーケティング部は、自分たちの部所の意義と予算を危うくするがゆえに、この大きな市場変化を、正しく経営トップに伝えていない。

 しかし、もはや媒体の方が、メーカーのこういう古い体質を見限り始めた。たとえば、ファッション雑誌は、これまで高額の広告出稿料を前提に、売り手側のプッシュに合わせて記事を起こしてきたが、部数が激減してしまったのだ。テレビも同様で、大手タレント事務所が押しつける無理なキャスティングでは、率が取れず、肝心のCMが売れない。

 一般商品でも、かつては「仕掛け人」などという怪しいプッシュ・マーケッターがあちこちに跋扈していた。しかし、今日の消費者は、そういう裏結託や裏操作に対して、強い不信感を抱き、かえって激しく反発をする。笛を吹けばバカな大衆はいくらでも踊る、などと考えていた傲慢な広告代理店は、行政予算にも見放され、それこそもう自分の身売りのマーケティングの心配でもした方がよいほどの零落ぶり。

 マーケティングは、本来、無理に製品を売り込むことではなく、市場を正確に掴み、自分が相手に応じることだったはずだ。その基本を忘れた企業は、顧客も相手にしない。