成功者たちが語る虚しきうぬぼれ成功術

/道端で一億円を拾うのも、社会的に成功するのも同じ。成功した人と同じことをして失敗する人の方がはるかに多い。時代を率いているつもりの人ほど、時代に踊らされているだけ。凡庸に見える知恵に従ってこそ、過ちが少ない。/


 幸運にも、ある人が一億円を拾い、世間の耳目を集め、『一億円の拾い方』という本を書いた。さて、あなたも買って読んで、ぜひ自分もまねてみようと思うだろうか。そんなにあちこちに一億円が落ちているものか、と、鼻で笑って終わりだろう。だが、それなら、なぜ、織田信長の決断だの、XX社社長の名言だの、ありがたがるのか。彼らが成功したのと、その人が一億円を拾ったのと、どれほど違うというのか。

 サイコロで6の目を出した人が、オレには6の目を出す能力がある、と、うぬぼれる。6の目が出たのだから、たしかに6の目を出す能力はあるのだろう。だが、その人には、まったく同様に、1や2、3、4、5の目を出す可能性もあり、次に何が出るか、わかったものではない。ところが、本人ばかりか、本人の勘違いを信じる追随者まで出てくる。しかし、連戦連勝のナポレオンに付き従った者たちが、ロシアでどうなったか、知らぬではあるまい。どんな勝者も、いつかはかならず次の勝者に負けるものだ。

 こうして私は成功した、という人の話が危険なのは、まったく同じことをして失敗した、という人の話が伝わってきていないから。戦国時代を振り返れば、織田信長のような強引な武将は珍しくもなかった。ただ、そのほとんどは、ある者は駆け出しのうちに、また、ある者は一国一城を得る前に、部下に寝首をかかれて果てた。彼らのことは伝え残すにも値しない。ただ信長だけが天下人となるまで生き残ったので、その話だけがいまに語り継がれている。だが、やはり最終的には、部下に寝首をかかれたことにかわりはない。

 哲学者ヘーゲルは、時代精神の狡智を言う。時代の精神が、依りしろとなる人物を求める。自由平等の精神、共産主義の精神、大和魂の精神、フェミニズムの精神、バブルの精神。本人は、自分自身の意志と努力によって理性的に時代の最先端に立ち、自分こそが遅れた時代を前へと進め動かしていっているのだ、と思っている。そして、自分以外はみんな、時代の波を読めぬ、愚昧な人生の敗北者だ、と思っている。

 しかし、実際は、そういう最先端の者こそ、まさに時代に振り回され、踊らされているだけ。時代が過ぎれば、手元になに一つ残っていないダシがらの負け犬として叩かれる。男どもをアッシー、メッシーとかしずかせていたものの、いまはただ孤独の内に老いさらばえていくかつての美女たち。身の程知らずに大きな家を買い、ローンを抱えたまま、それを売りに出さざるをえない家族。調子に乗りすぎた者の末路は、あまりにあわれだ。

 世に運、不運はある。どんなに才能があり、どんなに努力したとしても、うまくいかないことがある。その一方、ほんのちょっとした偶然で時代の寵児となり、人々にその「実力」を褒めそやされる人もいる。もしも後者なら、けっしてうぬぼれてはなるまい。たまたま自分は運が良かっただけだ、と、気づこう。また、もしも前者だとしても、後者をうらやんで、そのまねをしたりすべきではあるまい。二番煎じは、すでに時代遅れで、当たる確率が格段に下がる。それどころか、先行者に潰される危険性が高い。むしろ、これまでどおりの地道な方法を続けた方が、周回遅れで、最前列に出ることもある。

 図書館の色あせたビジネス書が並ぶ棚を見ると、いかに人間がうぬぼれやすいか、世間が騙されやすいか、よくわかる。いっときは成功者でも、いまは破産した人、逮捕されて獄中にある人、闇に葬られてしまった人。そんな著者たちばかりだ。好事魔多し、塞翁が馬。凡人は、凡人の賢明な知恵を大切にした方が、人生に過ちが少ない。