企業の寿命と再生

/市場そのものが衰退しているのだから、回復などありえない。現状維持にしがみついても、死を待つだけ。本業に専念するか、新事業に転進するか、経営資源の費用対効果を考え、いま、二者択一の英断が求められている。/


 30年近く前、『会社の寿命』という本が現れ、30年という数字をはじき出し、話題となった。はたして、いま、その後のバブルを経て、この30年で跡形無くなった会社もあり、いまも健在な会社もある。

 会社はともかく、業界の寿命は確実にある。市場飽和だ。戦後の焦土から立ち上がってきたこの国の中で、もはや巨大土木工事や新規住宅地開発の余地は多くは無かろう。自動車や電器製品も、買い換え需要くらい。まして、今後、人口は幾何級数的に減少していくのだ。海外に、などと簡単に言うが、現地には現地の人々がいる。この時代に昔の満州進出のような、ボケたことを言うようになったら、いよいよ会社も末期症状だろう。

 先の本が着目したのは、本業比率と平均年齢の2つの指標。本業が7割を越え、年齢が30歳を越えると、滅亡へ向けてポイント・オブ・ノーリターンとなる。だが、今の会社を眺めば、そんなものばかり。高齢者たちが寄り集まり、単一事業の中で散発的なヒット商品を模索して、かろうじて延命を図っている。まさに薬漬けの年寄りの様相。それでいて、一発逆転のV字回復、などいう再生妄想にとりつかれ、若者たちに発破をかける。

 市場そのものが衰退しているのだから、どうやってももはや過去の栄光の回復などありえないことを、まず認識すべきだ。くわえて、平均年齢が30歳を越えているということは、どんな大企業であれ、実体は下請や派遣ばかりで、すでに中小企業並みにまで実働体力が落ちていることを意味する。そのうえ、過去の経験と恩讐の蓄積が裏目に出て、内外の提携も容易ではない。あるのは、実情を知らぬ世間が勘違いして抱いている名声だけ。

 業界の寿命切れが迫る中で、会社には二つの選択肢がある。一つは、あくまでそこで生き延びること。パイは小さくなっても、ゼロにはならない。実際、建設会社の中には聖徳太子の時代から続いているものさえある。酒屋、味噌屋、菓子屋なども、数百年を越えて生き残ってきているところは珍しくない。コーラ屋やハンバーガー屋も、半世紀来、世界を席巻している。ここでは、むしろ本業に特化し、伝統と格式を徹底的に守りつつ、時代の流れをつねにうまく取り入れていく。手代たちを各地に分家分立させることによって、地道に人材の新陳代謝と技術の分散保存を図り、本家分家間の競争で、たゆまぬ努力を続ける。そして、なにより顧客をリピーターとして大切にし、市場をリサイクルする。

 もう一つは、自己再定義によって、まったく別の事業に転進する方法。ある織機屋は、会社の本質が機械工業であると気づき、自動車産業に変貌した。ある紡績屋は、自分をファッション産業と捉え、化粧品に活路を見いだした。パンチカード機屋がビジネスソリューションとして電算機メーカーになった例もある。もっとも、この転進は、市場未飽和の業界へ進出するものでなければならず、落ち目の酒屋が乱戦状態の飲食業や薬品業に出て行くなど、新大陸から旧大陸に渡るような逆行だ。また、ここにおいては、新事業の方へ人材も資金も一気に5割以上を投入するのでなければならない。小さく出て成功しても、本体の旧事業が新事業を再吸収し、延命のカネづるとして食い潰してしまうからだ。

 現状維持にしがみつく中高年によって中枢から老化してしまったところは、すでに会社全体が老人ホームのようだ。延命のためのダメ詰めは、経営資源を浪費し、ジリ貧になるだけ。過去に捕われず、純粋に費用対効果だけを考え、徹底して専業に絞り込むか、社を挙げて新天地へ転進するか、いま、英断を下さなければならない。