むつかしいなぞなぞの謎

        /なぞなぞの歴史は、なんと、天武天皇にまで遡る。だが、その最初のなぞなぞは、とてもむつかしいものだった。そして、そのなぞなぞは、いまもあなたの目の前にあって、つねにあなたに問いかけ続けてくる。/


 子供たち6人が部屋に入ると、テーブルの上の皿にクッキーが5つ。これが有名セレブ幼稚園の入試だ。こういう問題になると、付け焼き刃のお受験勉強も役には立つまい。クッキーを前に、子供の本性が露骨に出る。奪い合うのか、分け合うのか。分け合うとしても、どうやって。どの子がこれを仕切って話をまとめようとし、どの子がそれに逆らって出し抜こうとするのか。まさに社会の縮図。

 似た問題は、じつは、戦前、軍艦提督をめざすエリート養成の海軍兵学校の入試でも、しばしば用いられていた。六つの菓子を五匹のサルに分け与えよ。べつに正解があるわけではない。もともと、六菓子五猿(むつかしござる)、というシャレがオチ。だが、勘定が合わないという問題は、補給の閉ざされた海上において、現実によく起こりうることでもある。菓子なら、砕いて粉々にして分ける手もあるだろう。だが、6人いて、救命ボートの定員は5名となると、ボートを八つ裂きにするわけにもいくまい。

 なぞなぞは、平安時代の和歌の掛詞や折句とともに発展し、室町時代末期には、後奈良天皇がなぞなぞ本の編纂までやっている。そのころ作られたなぞなぞでもっとも有名なのが、まさに、六つの樫の木に五匹のサルを登らせる、というもの。その源流は、さらに遡って、はるか昔の天武天皇。死を目前にして、「無端事(はなしこと)」を皇子たちに問い、賞を賭けた、という『日本書紀』の記録がある。このなぞなぞは、五言絶句の最終行が欠けているようなものではなかったかと思われる。(荷田春滿を参照。)

 しかし、ふつうに考えれば、死の間際に、なぞなぞ遊びもないものだ。皇子たち、というのは、自分の子四人と、兄の天智天皇の子二人。それも、みな腹違い。このころはまだ長男相続ではなく、いずれもが天皇になりえた。自分でさえ、甥を倒し、実力で皇位を奪ったのだから、自分の死後、この皇子たちが相争うのは必定だ。母の身分が低い高市皇子(たけちのみこ)をのぞけば、それぞれの母の実家の父親たちも、この争いに介入してくるにちがいない。まさに、六本の樫の木、五匹のサルども。

 果たして、なぞなぞを解いたのは、皇位を望みようもない高市皇子天武天皇は、我が意を得たり、と、これを大いに喜びつつ、亡くなった。崩御早々、大津皇子皇位を狙って、挙兵。これを草壁皇子が処刑するも、みずからも早世。すわ大乱、というところで、かの高市皇子は、自分自身ではなく、なんと、亡き天武天皇の皇后を担ぎ出した。それは、死んだ草壁皇子の実母であり、天智天皇の娘。これなら、草壁皇子残党も、天智天皇残党も、文句をつけようがない。そして、彼は、この女帝、持統天皇の下で太政大臣となって、これを支える。これこそが、天武天皇高市皇子に託したなぞなぞの答えだろう。

 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』という遺作に、「あらゆることに自分を勘定に入れず」との句がある。クッキー1つを先に取って、5人に恨まれるのでは割に合うまい。逆に、自分はいいよ、と言って、みんなに分けてやれば、5人に感謝される。もともと自分のものでもないクッキーで、5人の友だちが得られるのだから、こんな幸せなことはない。

 いや、損得の問題ではない。そもそも、いったい何のために、あなたは、この世に生まれてきたのか。まさか、クッキーを食べに、ではあるまい。それなら、地位を得る、カネを得る、名声を得る、でもないだろう。むつかしいなぞなぞの真の謎は、まず自分を捨て、勘定から外さないと、自分のほんとうの幸せを得られないところにある。