マヌケが寄るとも知は濃くならぬ

        /生産現場の効率の悪さを問題にする会議が自分たちの意志決定の効率の悪さに気づかないのは、悪い冗談でしかない。ムダな議決権者を排し、デメリットの洗い出しが確実にできるよう、案件ごとに処断水準を振り分けることが大切だ。/


 今日、朝からお集まりいただいたのはほかでもない、我が社のヌキタ工場を閉鎖すべきかどうかという問題だ。調べてみたところ、ツネキ工場では10人で1日1つを生産しているのに対して、ヌキタ工場は20人がかりで1日1つしか出来ない。さて、どうしたものか。こう社長が切り出した後、侃々諤々と議論を重ね、30人もいる取締役会は、夜になっても、たった1つの結論すら出すことができなかった。

 以前、東側のある国で、共産主義支配に対する奇妙な共産主義運動が起き、工場を国家から組合が奪取して自主管理することになった。ここでは、従業員たち全員が参加して、連日延々と経営方針を議論。その間、だれも仕事せず、なにも製造されずじまい。国の民主化とともに、工場も民営化したが、結局、倒産してしまった。

 100人で議論しても、10人で議論しても、結論は1つ。生産性という観点からすれば、会議は人数が多いほどムダだ。もちろん、会議の目的にはいろいろある。本部決定事項の連絡だけのもの。各部所からの近況報告のもの。そして、議決するにせよ、そうでないにせよ、後で文句は言わせない、という、事実上の調印式のようなものもあるだろう。

 この最後のタイプの場合、会議を開く前に、根回しが必要になる。だが、ほとんどたいてい、連中は、会社の方向性どうこうではなく、ただひたすら自分の存在感を誇示ためだけにゴネているのだ。この面倒な意向調整コストは、会議の生産性の悪さの比ではない。半端に文句を言えるやつらを作ってしまったからこそ、ややこしくなった。最初から議決権を与えなければ、調整する必要もなかったはずだ。

 また逆に、おっしゃるとおりです、というだけの連中も不要。5%の塩水1リットルと、5%の塩水1リットルを足しても、5%の塩水が2リットルできるだけ。マヌケが何人集まっても、脳みそは濃くはならない。同じ意見の人々が集まっても、なんの勉強にもならない。やる、と言っているところで、やるメリットを述べるやつは、時間のムダ。賛同者ばかりだと、党派集会としては気勢が上がるが、気勢だけで始めたことなど、気運が変れば、すぐに総崩れになる。

 真に重要なのは、案件のデメリットだ。多くの参加者が多面的に検討することで、実行した場合のデメリットをあらかじめ洗い出す。これによってこそ、先行して対策の手を打つこともできる。また、もしデメリットが巨大であるにもかかわらず、それに対する有効な保障策がどうしても見つけられないなら、やる、という前提そのものを取り消し、今度はすぐに、やらない、ということのデメリットの洗い出しを始めないといけない。

 この洗い出し作業は、独裁ではできない。全会一致も無意味。あえてそれぞれが検察役を買って出て、試案を叩いて、叩いていってこそ、デメリットの洗い出しもできる。だから、会議には、デメリットのリスク査定を誤差の範囲内に押さえ込める必要充分な多面性のある人数が求められる。万が一にも失敗のリスクが巨大である場合、より精緻な事前検討が必要だ。だが、どのみちリスクが小さいなら、当事者に一任でいい。

 難しいのは、デメリットのリスクの大きさを予見すること。なんでもかんでも重役たちが全員集まって、自分たちで決めないと気が済まない、というのでは、効率が悪すぎる。案件ごとに各階層の議長たちがよく吟味して、どの水準の会議で処断すべきことなのか、うまく振り分けていってこそ、社内全体として、会議の生産性も高まっていく。