等価交換の詐術

        /価格は、世間が相場で決めること。自分にとって、また、相手にとってほんとうに価値のあることとはズレている。そして、そこにこそ経済の妙がある。/

 先生が言う。はい、今日は遠足です。これからバスに乗ります。でも、その前に、給食センターからお昼ご飯の代わりに、くだものの入った袋が配られます。さて、ここで問題。リンゴとミカンとではどっちが大きいか? リンゴ! はい、そうですね。リンゴ1つとミカン1つでは、ミカンの方がちっちゃくて、損な気がします。それで、リンゴ2つとミカン3つで等しい、ということにしましょう。さて、では、リンゴ4つとだったら、ミカンはいくつ? えーと、6つ。そう、そのとおり。給食センターの方の都合で、これから配る袋には、リンゴが4つ入っているものと、ミカンが6つ入っているものがありますが、どちらも等しいのですから、ごちゃごちゃ言わないように。

 さて、袋が配られた。中を見ると、さなちゃんの袋は、リンゴが4つ。まなちゃんの袋は、ミカンが6つ。まあ、先生が言うように、どっちも等しいのだから、これでいいか。ところが、あやちゃんの袋には、リンゴ2つとミカン3つ!

 先生、ずるい! あやちゃんのには、リンゴもミカンも入っている! 先生が言う。はい、し、ず、か、に! さなちゃんとまなちゃん、よく考えてごらん。リンゴ2つとミカン3つで等しいんでしょ、だったら、リンゴ4つでも、ミカン6つでも、リンゴ2つミカン3つでも、どれでも等しいでしょ。ちょっと考えれば、わかるでしょ。

 いや、理屈で考えるからわからなくなるのだ。だれだって、リンゴは4つもいらないし、ミカンも6つはいらない。両方食べれるリンゴ2つミカン3つのセットがいいにきまっている。さなちゃんとまなちゃんは、そのうち、いいことを考えついた。ねえ、リンゴ2つとミカン3つが等しいんでしょ。うん。だったら、私のリンゴ2つと、あなたのミカン3つを取り替えない? あら、不思議。等しいものを交換しただけなのに、どっちもリンゴ2つミカン3つになって、二人とも前より幸せになれた。

 これは、経済学で言う「選好曲線」が曲がっていることから生じる効果だ。モノの価値は、人によって異なる。ミカンを1万個も持っていて、もう食べきれない人からすれば、すこし人に分けてあげても、なにも減らない。むしろ腐ったのを捨てる手間が省けたくらいだ。情報も、よほどカネと手間をかけて手にいれた話でもなければ、人に教えても、やはりなにも減らない。だいいち、人や物、土地の情報など、もともと自分のものではないではないか。まして才能は、人にふるまえばふるまうほど、磨かれて良くなる。才能を披露する機会を与えてくれたことに感謝したくなるくらいだ。

 価格は、市場での交換のための基準で、自分にとっての価値とは関係がない。いくらマニアの間で価格が高くでも、自分にはガラクタというものも多い。ところが、気をつけないと、自分の価値観が価格に浸食され、要りもしないものを家に貯め込むようになる。モノならまだ見えるからいい。世間の価格に欺かれ、「貴重」な人脈や情報、技術をごちゃごちゃに生活や仕事の中に貯め込むと、ムダに忙しいばかり。言わば人生のゴミ屋敷。

 お年寄りなど、街中に困っている人に声をかけ、手を貸す。そんなことは、たいした手間でもない。一方、有名人の顔を見に行っても、それで知り合いになれるわけでもなく、あなたが偉くなるわけでもない。世間でナンボのものでも、自分にとって要らないものは要らない。価格に惑わされず、相手にとっての価値、自分にとっての価値を直接によく心で感じ、おたがいに協力しあって、自分たちでより幸せになる方法を見つけよう。