心構えは言葉で知れる

        /言葉の言い回しも知らないようでは、恥をかくばかりか、人を敵にしてしまう。なぜそうすべきか、わからなくとも、まず形からだけでも身につけていくことで、自然と正しい心構えができるものだ。/


 MMですっ。電話で女性がそう乱暴に言う。そんなフィリピン人歌手のような名は知らないし、その手の店に出入りしたこともない。あの、どちらの? 本社営業部海外担当。ああ、保険会社の屋号か。治療費の件ですが、診断書と領収書を提出してください。コピーではなく、現物で。他社と二重請求するといけないので。たしかに数ヶ月前に子供がプラハで熱を出し、医者に診てもらった。その話らしい。それにしても、要らぬことまで言う人だ。なんでいきなり、二重請求する、などと、疑われなければならないのだろうか。

 一方、その少し後に、同じ保険会社の地方支店からも電話があった。若い男性の声だ。お子様がお病気になられたそうで、たいへん心配申し上げております。その後、御加減はいかがですか。本社の方でサポートさせていただきますが、私どもの方ではスーツケースの車輪の件について、云々。本人はもちろん、彼を指導している先輩も立派なのだろう。電話の終わりにも、子供のことを気遣っていてくれていた。

 就職でも人気の高い会社なのだから、その本店の海外担当ともなれば、先の女性も、きっと学校の成績などは相当に「優秀」だったにちがいない。それにしても、感じが悪すぎる。相談室に電話して、担当者を換えてほしい、と願った。すると、本人からすぐに電話がかかってきて、私が責任を持って担当しますっ、とケンカ腰。しかし、いったい何の責任なのか。保険マンとして力強い味方となってくれるというより、ただ社内での責任を果たすだけ。まるで犯罪者の取調べを受けているようだ。一言一言、不愉快になる。

 昔、孔子の出張中、屋敷の馬屋が火事に被災した。そこには、王侯貴族に会いに行くための豪華絢爛たる馬がいた。いまの黒塗りの高級車の比ではない。それ無しには、門も通してもらえない。威厳が保てず、笑い者にされる。孔子は驚き慌てて屋敷に戻ると、息も切れ切れに問うた、だれもケガはしていないか? そして、その後も、けして馬のことを口にすることはなかった。落語にもなるほど、有名な話だ。

  言葉には、人間の性根が出る。ふだん思っていること、もっとも気にしていること。だが、せめて言葉の言い回しだけなら、サルやオウムにでも体裁を取り繕うことくらいできそうなものだ。いい年をして、それすら身についていないとなると、よほど重症ではないか。誰も教えてやらなかったのだろうか。自分で学ばなかったのだろうか。

 芯が腐ってしまった木は、もはや元には戻らない。だから、それが育つときこそが肝要だ。意味などわからなくても、言い回しややり方を、立派な親や先輩から見よう見まねで学び、形だけでも身につけていく。茶道や礼法でもそうだ。また、ときにとても嫌な人と出会い、ああだけはなるまい、と心に誓うことで、自分が曲がることを防ぐ。こうしたひとつひとつが、年輪のように重なって自分の幹となり、やがて自分自身の心構えとなっていく。そして、いずれ、なぜそうするのが良かったのか、ようやく自分でもわかる日が来る。そうなれば、まだ出遭ったこともないような難しい状況に直面しても、腹を据えて、自分で問題を解決できるようになる。

 早成より晩成こそ大器と言われるのも、このゆえだ。勉強は学校の中だけでは終わらない。よく言うように、人生一生、毎日毎日の出会いのすべてが勉強だ。良い人も、悪い人も、みな我がフリを正すための鏡。理由はわからなくても、良いことと悪いことを見分ける直感が我々の心には備わっている。そして、それが自分をまっすぐにしてくれる。