貧富格差とメメントモリ

 この暑さの中、電気代が払えず、クーラーも使えず、熱中症で亡くなる人が少なくないと言う。江戸時代であれば、どこか街の外にでも出て、夕涼みという手もあっただろうが、いまの東京は、どこまで歩いても東京だ。

 この貧富差を、競争社会だ、能力評価だ、と言って、平然と放置できる連中の気が知れない。親子代々、政治家や経営者という人々は、それこそ競争社会にも、能力評価にも参加していないではないか。そして、ケガや病気は、確率の問題だ。不運が重なれば、セフティネットが敗れ、どん底まで落ちてしまう。

 中世末期、身分差、貧富差の末に起こったのは、疫病だ。教会には、老いも若きも、富むも貧しきも、等しく疫病の餌食となって、死神に連れ去られ、踊り狂う姿が刻み込まれている。先に牛や鳥の疫病で騒いでいたが、あれが人間のものであったら、どうなることか。そして、食料費や医療費を払えない層は、健康や衛生もリスクが高く、真っ先に感染して、全国に蔓延させるだろう。

 貧富格差などといっても、疫病は、そんな経済の壁など問題にしない。歴史に学ばず、一面的にしか考えない社会は、いつかひどい目に遭う。