主婦は職業か?

        /ある人々は、主婦も立派な職業だと言う。だが、どう考えても、家事は仕事としては割に合わない。カネになる仕事のじゃまでしかない。しかし、もとより家族はカネでは買えない。/


 カネがなければ生活できない。収入が足りなければ、共働きもやむをえない。たとえ夫の収入が多くても、苦労して学校を出て、就職活動を勝ち抜き、社内でキャリアを築いてきたのに、ここで辞めたら水の泡、と言って、妻も仕事を続ける。いずれにせよ、料理や洗濯、掃除や育児など、仕事のじゃま。妻と夫で押し付け合い、結局、外食や託児に頼ることになる。

 昨今の住いは、家のように見えるが、家としての機能を担っていない。たとえ大きなリビングがあっても、時間がまちまちで、家族が揃ってなにかするなどということは、容易ではない。みんな、ばらばらに外のなにかに所属していて、家は、ただ自分の部屋に帰って寝るだけの場所。まるでビジネスホテルのようだ。だが、そんな生活でも、いまの時代、なんとか成り立ってしまっている。

 実際、家事はむなしい。どんなに手間をかけて料理を作っても、食べてしまえばおしまい。後には、汚れた鍋や皿の山ばかり。それを洗っても、翌日には、また同じことの繰り返し。朝、カーテンを開け、夜、閉める。だからといって、ずっと閉めっぱなしというわけにはいかない。掃除をしても、すぐにどこかからホコリがやってくる。洗濯に至っては、だれが面倒をかける犯人かも、よくわかっている。なんで水たまりに足なんかつっこむの! 服まで泥だらけになるでしょ! そんなことを言っても、やはりまたやる。

 ところが、世の中には家族ごっこをしたがる人もいる。かつて妻が子育てに苦労しているときには、仕事の多忙を口実に任せっきりだったくせに、定年退職して時間をもてあましたとたん、息子夫婦、娘夫婦のところへ連日のように押しかけ、家のことや孫のことにあれやこれやと口を出し、手を出し、もめごとのタネを増やす。そのうえ、頼みもしないのに、家を買うカネを補助してやろう、などと言い出し、それで買ってもらったら最後、この家はオレが買ってやったんだ、オレのものだ、それなのに、なんだおまえらは、と、会社のころの上司カゼを人の家の中にまで持ち込む。

 しかし、家族は、カネで買えるものではないのだ。家は買えても、家族は買えない。結果は買えても、心は買えない。高級レストランの方が、味はいいかもしれない。だが、それは、結局、人のところの味であって、けっして自分のウチの味ではない。人のところに任せれば任せるほど、自分のところ、自分のウチは無くなる。

 もしも主婦が職業なら、こんなにワリの合わない仕事はない。あれは、もはや、きっと趣味のボランティアなのだ。とはいえ、自分でボールを打って、自分でそれを追うゴルフや、極寒の雪山にリフトで登っては降りてくるスキー、ゴミのようなものを集めるコレクションなどと較べれば、どれほどましな、贅沢な趣味だろうか。たとえ家族のだれも直接に礼を言わなくても、絶対に、永遠に忘れたりはしない。自分のウチ、自分の家族があるのは、その人のおかげだから。

 以前、親しい友人に電話をしたら、留守で奥さんが出てきて、ちょっと雑談をしていたときに、こんなことを言っていた。仕事との両立はたいへんだったけれど、家事がいちばん楽しかったわ。だって、ダンナや子供たちに、毎日、毎日をずっと作ってあげられたのだから。なにか言い回しが妙で、電話を切った後も、ずっと気になっていた。この人は、数ヶ月を待たずして、病気で亡くなった。