日本語教育の新たな歪み

 夏休みになると、子供番組を見かけたりすることもある。が、日本語の教育番組があまりにひどいので、驚いた。谷川俊太郎の才には敬意を払うが、その亜流みたいなのが、子供たちに延々と言葉遊びをやらしている。

 だが、言葉において、そんな音遊びは、しょせん色ものだ。言葉は、人と語るためのもの。自分で考えるためのもの。その背景に音律のおもしろさがあるとしても、コミュニケイションや思想性を捨て去って音遊びだけに終始するなら、本末転倒もいいところだ。言葉の音は、相手があればこそ心にに響くこともわからぬようでは、言葉を語る資格などあるまい。

 英語も、セサミストリートの配信が打ち切られてから、やはりひどいことになった。いかにも日本制作で、ぎゃんぎゃんうるさいだけ。いったいどういう米国観なんだろう。米国ないし英国の文化的背景や思考を配慮せず、こういう日本的な偏見を助長するだけでは、ジャングリッシュにすらなるまい。

 番組作り以前に、まず、子供たちに教えるべき、まともな言葉観とはなにか、を考えようというスタッフはいないのか。