仕事の尊厳と報酬

        /仕事の報酬は多いにこしたことはない。だが、それよりも、自分を高く買ってくれている、ということにこそ、やりがいが生まれる。だから、感謝の一言を忘れてはならない。/


 仕事は楽ではない。しかし、仕事は自己表現でもある。報酬は多い方がいいに決まっているが、ときに人は、報酬を度外視して、仕事に真摯に取り組む。そこにやりがいがあるなら、無給のボランティアであろうと、まったくかまわない。トム・ソウヤーに出てくるペンキ塗りのエピソードのように、やりたい仕事であれば、カネを払ってでもやりたがるくらいだ。たとえば、自費出版などが、そうだろう。

 だが、半端に常識より安い報酬は、ダメだ。それは、金額が安いからではない。人間として屈辱的だからだ。仕事は、すくなくともその人自身にとって、かけがえのない人生の貴重な時間を削ってやるものだ。それを人が安く見積もるのなら、人間としての存在そのものを否定されるようなもの。やる気が出ないだけでなく、そんな風に自分を扱う相手が許せない。いつか辞めてやる、いつか仕返ししてやる、と恨まれ、結局、高くつく。

 また、こんな仕事には、これでは多すぎるくらいだ、感謝しろよ、などと、いらぬことを言うやつもいる。だが、こんなことを言ってしまっては、絶対に感謝されない。たとえほんとうに報酬が破格に多いとしても、仕事の内容そのものが評価されていないなら、人格に対する侮蔑であり、これも、かえって深く恨みに思うだけ。それにしても、高いカネを払った上に、恨みを買うなんて、まったくバカなことだ。

 これほどの仕事をしてくれているのだから、あんたにはもっと払うのが当然なんだが、なにぶん都合がつかなくてなぁ、ほんとうに悪いなぁ。報酬が相場より多くても、少なくても、働く側は、現金そのものより、この一言こそを待っている。いや、いいんですよ。でも、余裕ができたら、もっといっぱいお願いしますね。きっと、笑って、冗談交じりに、そう答えるだろう。使う側と働く側は、敵ではない。苦労をともにすること自体は、なんの苦労でもない。そして、自分のことを高く買ってくれている、ということこそ、仕事の最高の報酬だ。

 とはいえ、これは人あしらいのテクニックなどではない。口先でだけ調子のいいことを言いながら、心の中で、おれに感謝しやがれ、このやろう、と思っているようでは、すぐに態度に出る。だいたい、そんな風に傲慢な人が、人に愛されるわけがない。たとえどんなに高い報酬をばらまいていても、会社を辞めたとたん、年賀状はもちろん、電話の一本もかかってこなくなる。いや、その前に、だれかが足払いをくらわせるだろう。

 コピー一枚、メモ一つでも、仕事をともにしてくれているのなら、相手に感謝するのは当然のことだ。仕事はチームでやるものだ。一人ではなにもできない。同僚や取引先、顧客の理解と協力があればこそ、成り立っている。そのチームに入れてもらっていること自体には、先輩も、後輩もない。おれの方が先に入ったんだ、おまえらは、おれが雇ってやっているようなものだ、なんて、勘違いしているやつは、先に追い出されるだけ。
 
詠み人知らずに、実るほど頭を垂れる稲穂かな、という句がある。実際、政治家でも、経営者でも、偉い人ほど、多くの人に支えられていることを、よくわかっている。誰に対しても、心からの感謝を忘れない。そして、働く側も、あの人は、わかってくれている、応援しよう、いっしょにがんばろう、と思うものだ。だが、タチが悪いのは、そういう求心力のある人の虎の威を借りて威張る秘書。こういうやつにかぎって、おまえらの報酬は多すぎるくらいだ、社長に感謝しろよ、などと言って、ぜんぶを台無しにする。