差別・イジメの対処法

        /まったく面倒くさいやつはどこにでもいる。だが、まともに怒ったら、まさに連中の思うツボ。かといって、無視するのも、自虐的にちゃかすのも止めた方がいい。正々堂々と、仕事の結果で立ち向かおう。/


 どこの国でも、子供は「悪い言葉」から覚える。ブス、ハゲ、デブ。だが、子供は、じつは、何がブスなのかなど、わかっていないのだ。ただの音の羅列。イヌ、ネコ、パン、ブス。人にイヌ!と言っても、何も起きない。だが、パン!と言うと、なぜかパンが食べられる。そして、ブス!と言うと、相手が怒る。これがいちばんおもしろい。だから、なんどでも言ってみる。

 いい年をして、差別やイジメをするようなやつは、ガキだ。そいつが悪いに決まっている。だが、悪ガキに止めろと言って止めるわけがない。大人になって、そんなことを言うやつは、侮蔑しようとして言っているのだから、たしかにあなたが人として怒るのは当然だ。だが、あなたを怒らすこそ相手の目的なのだから、なにもそんな嫌なやつに、親切に期待に応えてやる必要はあるまい。しかし、黙って無視するのも得策ではない。黙らすために濫用されるようになる。まして、ほっとけ!などと漫才風に笑いをとったら最後。それこそ、おもしろがって、永遠に繰り返される。

 1960年代、小さいときから大人気だったマイケル・ジャクソンでも、黒人ゆえに、食事は店の裏の路地で立って喰え、と、虐げられていたとか。だが、公民権運動の高まりとともに、大きな変化が訪れる。やーい、黒人!とはやす白人連中に対して、そうだよ、黒いだろ、うらやましいか、スタイルもいいんだ。走っても、歌っても、おれたちのマネできないだろうな、と応えた。ブラック・イズ・ビューティフル。黒人!と言ったら、毎度、延々とこの自慢話を聞かされるから、はやす方が嫌になって止めた。

 差別やイジメは、自己嫌悪の外化として生じる。つまり、そういうことをするやつらは、もともと自己評価が低いのだ。そのあまりの低さに耐えきれず、それを攻撃的に外部に転嫁して排出しようとする。その前で自慢話をされたのでは、たまらないだろう。そんなおもしろくないことはない。だから、やめる。

 面倒なのは、理解があるかのようなフリをしている連中だ。黒人で盲目のあるミュージシャンは、こんなインタヴューを受けた。黒人で盲目という二重苦を背負いながら、ここまで成功するのは大変だったでしょう? ミュージシャンは応えた。おれは黒いのかい。盲目だから、知らなかったよ。で、あんたは、何色だ? ミュージシャンとして音楽をやるのに、白も、黒も、目が見えないのも、足の中指が親指より長いのも、へそが曲がっているのも、関係ないに決まっている。

 男だ、女だ、若すぎる、もう年だ、経験がない、時代遅れだ、生意気だ、積極性に欠ける、等々。人は人のジャマをするためなら、何千何万もの「客観的な理由」を考え出す。そして、それを本人のいないところで言い散らす。これも、あきらかに差別・イジメだ。本人に向かって言うより、巧妙で陰湿なやり方。しかし、こういうことをするやつも、典型的に自己評価が低い。他人を貶めていないと、自分には長所がなにも残らない。だから、それをやらずにはいられない。精神的に病んでいるのだ。

 どんな物事も、長所と短所は表裏一体。アラを探せば、悪く言えるのは、当たり前だ。だが、仕事は長所でやるもの。社内で人物批判ばかりしていて、なんの長所のない人間は、仕事には使えない。本人もそれがわかっているから、いくら発言は強気でも、心も内臓もボロボロ。こっちが仕事で結果を出して見せつければ、そいつは内側から潰れる。