進歩しない歴史の不思議

 日本の歴史を眺めていると、とても不思議だ。昔からわけのわからない代理人が威張り散らす。天皇でもない聖徳太子、将軍でもない北条家、朝廷でもない幕府、そして、政府でもない陸軍や自民党。くわえて、なんどもわけのわからない改革をやっているが、まったく実効性がなく、結局、数年でやめてしまう。ひどいのが、墾田永年私財法とか、徳政令とかのようなやり方で、制度の根幹から信用を放棄してしまうようなでたらめさ加減だ。

 これほど愚行が繰り返されるのは、歴史を学んでないとしか言いようがない。そして、その歴史を学んでない歴史を学ばさせられるのだから、おもしろくもないに決まっている。こんなのでよく万世一系の日の本とやらが続いているなぁ、とも思うのだが、かように、なにも進歩しないからこそ、その進歩しないことが続いているのだろう。まともに経験を重ねれば、いいかげん途中でポイント・オブ・ノーリターンを越えたはずだ。

 侃々諤々、意見を言ったところで、この国はなにも変らない。飛鳥の昔からそうなのだ。だからこそ、続いている。むしろ、日本を変えようなどと真剣に深入りした連中は、これまたおもしろいほど、むだに犬死にさせられている。この国の歴史で学んで得るところと言えば、その程度か。