レッスンと旅行ガイド

 楽器を楽器と思っているうちは、楽器は楽器でしかない。絵筆を絵筆と思っているうちは、絵筆は絵筆でしかない。自分自身の全身で歌うのであり、そのとき、楽器など、自分自身のカフスボタンの重さすら消え去っている。絵を描くときも、そこにもはやキャンバスはなく、手で水に触れ、肌で風を感じ、木や草をなでるだけ。

 だが、そこに薄いカーテンのような霞がかかっている。それを払いのけようとしても、自分にからみつくばかり。ところが、向こう側にだれかいる。それが、先生だ。ここからこっちへ通れるよ。この切り株に気をつけて、と教えてくれる。この先どうしたらいいのか、と問えば、自分はそっちへ行く予定はないが、この道をたどれば、山を越えられると聞いたことがある、と教えてくれる。

 もうだいぶ昔に売れた本だが、『かもめのジョナサン』という寓話がある。ここまでくれば、もうだれもいないだろう、というところにも、先人はいるものだ。まさに上には上の連中がいる。彼らは、そこに招き入れ、さらに上への道を指し示してくれる。道を同じくするわけではないが、先に旅をしてきているだけあって、いろいろとあちこちの情報を知っている。教わる者と教える者ではあるが、旅人であることにかわりはない。もっとも、たまに自分では旅をしたことがない、話だけのやつがいて、そういうやつの話は役に立たない。