七月の講義は学問への冒涜

 私が言ったんじゃない。私が学生のとき、哲学科長の山本信教授が、古代ギシリアから伝統だ、とかなんとかむちゃくちゃを言って、七月はみんな休講にしてしまった。いい時代だったなぁ。でも、いまは文科省がうるさいから、半期できっちり15回の講義をやらないといけない。でも、そうすると、七月末までふつうに講義。小学校より学期が長い。だけど、こんなことすると、学外講演とか集中講義とかとぶつかって、教員も、学生も、大変なんだよね。

 世間からすれば、それだって大学は夏休みを取りすぎだ、と思うだろう。それはわからないでもないが、大学というものをわかってないな、と思う。講義は弁当のメシの部分みたいなもので、それだけやっていても、情報伝達にしかならない。それに、それだったら、ほんとうは本を読む方が手っ取り早いかもしれない。だけど、色とりどりのオカズがないと弁当はおいしくないし、メシの後の運動も大切だ。それが、放課後だったり、夏休みだったりする。

 逆に、メシはほとほどのオカズっ喰いというのも、本音では個人的にはありだと思っている。そうは言っても、いまの時代、決められたことは決められたこととしてきちんとこなす習慣も大切だ。だいいち、私の講義は、本のような情報伝達ではなく、毎度、ライヴっぽいしね。