研究者の孤独の楽しみ

 テレビの仕事をしていたころ、行動的な大学教授たちがもてはやされ、その後、県知事や代議士になっていった。世間的には成功者なのだろう。だが、近くで眺めている者からすれば、やっぱりおかしい。人間、あまりに明るい照明を当てると、躁にぶっとぶ、と言うが、まさにみんなそんな感じ。

 研究者で最先端の研究をしていれば、孤立して当たり前。見ただけで分かるスポーツ選手と違って、小難しいことをこねくりまわしている学者が、世間に広く受け入れられるわけがない。学会の中でさえ、かんたんに賛同を得られるようなら、むしろ凡庸だ。専門家連中に、そんなことはありえまい、と、さんざんに言われ続け、三年たったあたりで、だれもが研究者の良心として認めざるをえないようなパラダイム・ブレイクスルーであってこそ本望。

 この意味で、学問の自由は、行動の自由とは別のもの。良いとも、悪いとも、他人に評価されない、さらに言えば、無視される自由だ。マズローみたいな俗物からすれば、社会認知が自己実現なんだろうが、研究者は真理の探求と発見そのものが楽しいんで、世間の評価など関係ない。そして、その孤独においてこそ、歴史や世界の中に多くの同好の先人や友人が立ち現れてくるから、なにも困らない。