パリ祭と借り暮らし

 1789年の今日、バスティーユ襲撃で革命は始まった。とはいえ、パリ市民からすれば、フランス王の方がよそ者で、ときどき泊まりに来ているだけの変な一家だった。それが食糧危機に食い物を貯め込んでいるから、みなぶちきれた。ある意味で、自分たちのパリを自分たちの実力で取り戻したにすぎない。

 他の国ではそうはいかない。たとえば、この国。どうもあの一家の方が、このトヨアシハラノナカツクニの原住民っぽい。南北のへりっちょに追いやられてしまった毛深い方々をのぞいて、ここに住んでいるほとんどすべての人は、古いにせよ、新しいにせよ、戦乱で荒れる大陸から逃げてきた渡来人の血を引いていると思った方がよさそうだ。その後先を言ってみても、超原住民の、あの一家にはかなわない。あの徳川でさえ、いいかげん返してよ、と言われると、二の句が継げなかったのだから、庶民としては、住まわしてもらえているだけありがたいと思わなければなるまいなぁ。

 で、いいかげん、トヨアシハラじゃないところに自分たちの国を創ろうなんていう運動も過去にはあった。函館の公会堂なんか、天皇の間って、正面二階ではなく、階段横の狭い脇部屋だぜ。でも、結局、すたれちゃったねぇ。借家住まいでも、大家がうるさくないから、あんまり困らないしさ。