文明荒廃の兆候

 ローマ末期、特権的な生活を享受しながら未来を描けない市民たちは、日々のパンとサーカスを求めた。今の日本で言えば、コンビニとインターネットか。それこそストック性のかけらもない、フローだけの世界。そんなところにいりびたっていても、なんのキャリアも築くことができず、むだに年だけとっていく。見た目は違うが、現代社会全体がやっていることは引きこもりと同じだ。

 

 地方に行けば、至る所に廃屋や廃車、閉鎖店舗や老人住宅があふれている。落書や不法投棄も、放置されたまま。だれもどうにかする気がない。というより、この国は、もはやだれにもどうにもできない一線を越えてしまったのだろう。そりゃ、なんの前進も後退もないコンビニやインターネットに熱中していれば、未来へ向けての整備なんかしている余力は残ってはいるまい。

 戦後、大地は荒廃していたが、今日の我慢、今日の苦労が明日の幸せにつながると信じられた。いまは明日がない。さんざん夢を踏みつぶしておいて、希望を持て、などと言われても、しらけるだけだ。歴史の年代を見ていると、みな気づくように、なぜか百年周期の事件がある。そろそろ荒れるのだろうが、巻き込まれない知恵くらいは持っていたい。