哲学と芸術の境界

 どこにでも哲学や芸術は成り立つ。だが、なにをやっても哲学や芸術になるわけではない。哲学や芸術の名を借りてバカをやってシロウト騙しをするほど、哲学や芸術から遠いものはない。

 哲学も芸術も真理を求める。だが、哲学は普遍を求め、芸術は個別に根ざす。後者は、反証という方法で虚偽の普遍と戦う。だから、しばしば既存の常識とはぶつかることになる。しかし、それは、カント的な意味で、常識が見失っている良識のために、真偽再考の余地を空け渡させることが目的だ。すべてのカラスは黒い、という思い込みに対し、でも、ここに、ほら白いカラスだっている、と言う。だから、個別でも、全世界と互角に向き合うことができるのだ。

 しかし、現実には、常識に迎合した「芸術」も多い。それらは、常識を追証する。それは、まさに世間に対する追従だ。そして、ここにこそ哲学の出番がある。普遍基準において、それが芸術ではない、真理を求めるものではないことを暴き出す。とはいえ、哲学は直接に芸術と対決するのではない。「芸術」を主張するものの方に語らせ、徹底的に吟味する。これをカント的な言い方では「批判」と言う。批判によってエセ芸術、エセ良識を退けるとき、真の芸術同様、そこに良識の余地を開くことができる。