才能の世界

 人は自分の心の窓より大きなものを見ることができない。そこに象がいても、鼻の長いなにか、というくらいにしかわからない。スポーツであれば、見てわかるのだろうが、頭の良さやセンスの良さとなると、眼で見ることはできない。それで、そんなものは存在しない、と言い張る。でも、そもそもわからないのだから、ほんとうは、存在しない、ということすらわからないくせに。

 さらに難しいことに、上手とか下手とか、良いとか悪いとか言っているような領域は、しょせんモノサシのある凡俗の範囲内。それを突き抜けると、それぞれが唯一無二になって、比較すること自体が無意味になる。それで、ふつうの人には才能そのものが無意味のように思えてしまう。だが、そういう才能は、凡俗のモノサシそのものを真っ二つに折ってしまうような恐ろしさを秘めている。どうしてそれが無意味であろうか。

 一方、わからないなら黙っていればよいものを、知ったかぶりでシロウトだましをしてうろついている連中もいる。まるでエセ霊媒師のようなやつら。連中はやたら饒舌だ。だが、本来、センスの領域は、語りうるものではない。わかるひとには直感的にわかるものだ。語るやつは、語るに落ちている。