高学歴貧困層

優秀な成績で大学院を出ても、就職もできない、教員にもなれない連中があふれている。だが、熱心に勉強をがんばれば立身出世できる、などという社会モデルは、百年も前の近代社会成立期のものだ。それと戦後の大衆大学の量産プログラムがくっついて、いよいよおかしくなった。

たとえば、中国語やスペイン語とちがって、ドイツ語やフランス語、ロシア語など、本国ですら需要がない。親の文化コンプレックスで娘に大金をつぎ込んでピアノ教師にしても、いまどき子供にピアノを習わせる層は少ない。こんな分野を専攻する連中には先を見る目がない。そんな先見の明のないやつを人は教師にはしない。

いや、そんな分野でも教員になれるやつもいる、と言うかもしれない。しかし、それは、博物館で保護される天然記念物のようなものだ。歴史の記憶をつなぐためだけであって、大学や学生、世間にとって必要だからではない。ドイツ語もラテン語同様の古典語、ピアノもチェンバロ同様の古典楽器になりつつある。この現実が理解できないような連中を、時代を読めない教員たちが大量に再生産しようとしてきた罪は重い。