美術館と博物館

同じ映画をなんどか見ることがある。同じ小説をなんども読むことがある。そこには新しい発見がある。この先も知っている。が、最初の、眉間にシワを寄せるような、好感とも、反感ともつかぬ戸惑いは消えてしまう。

科学と違って、芸術は一回きりだ。同じ作品をとっておいても、時代が変われば、感動は再現できない。デュシャンの泉など、そのときまさに泉であっただけで、美術館にとっておいても、それが便器にすぎない。そもそも、このことがわからないようでは、たぶん当時も、あの作品に感動はできなかっただろう。

日本では美術館と博物館が分けられているが、本来はミュージアムとして同じものだ。そこにあるのは、美とは限らない。歴史的に貴重なガラクタも保存される。そして、実際、わずかの著名な作品をのぞいては、ただ収蔵されているだけのものの多くが歴史的なガラクタ。

一方、美そのものは、生ものだ。どうやっても保存できない。だからこそ貴重なのだ。保存されたガラクタの能書きより、目の前の、現代に生成する美、自分がその生成に居合わせる幸せを感じる心の方が大切だ。