友情、勝利、まず血筋

『ジャンプ』の標語を皮肉って、近頃、巷間に言われる。逆に言えば、努力なんかムダということ。親がすごい、じっちゃんがすごい、でなければ、主人公にはなれず、また、そういう貴種には、だれもかなわない。

もちろん、この背景には昨今の現実がある。企業人や政治家はもちろん、いまや世襲ではない芸能人を捜すのは難しい。天皇制を批判する作家やジャーナリストですら娘・息子に世襲する。門閥は親の敵とまで言い切った福沢諭吉の学校が、その巣窟になっているのも笑える。かく言う自分も、親兄弟から親戚一同まで、先祖代々、学者や医者に芸術家だらけ。べつに世襲の商売ではないが、たしかに環境的な好条件が無かったとは思わない。

だが、社会の対流が失われれば、創造性も低下する。すべてがマンネリ化する。英国のように立ち枯れてしまう。洋の東西を問わず、かつて篤志家は、才のある若者を天下に広く求め、有為の人材へと育てた。我が子ひいきのバカ親ぶりもけっこうだが、血のつながりを越え、真の継承者を抜擢するのでなければ、組織や国家は現代の難局を乗り切れない。