小説教室の功罪

小説家になりたい、という人は少なくない。しかし、それは、なりたくてなるものではなく、なってしまうものではないか。代理を含む広義の怨嗟として、わたくしの思いを世に刻み残さずにいられず、その表現のために研鑽を積む。だが、いかに研鑽を積んでも、書かずにいられないものがなければ、なにも書けまい。

名望心だけの作家ワナビを集めたカルチャー講座や私塾が、昨今、人気だ。しかし、かの山村教室のようなものを別として、その内情の多くは、同人くずれの「先生」による、たんなる作文の添削ごっこらしい。まあ、わかりやすい文章を書く、というのは、事務仕事などでは役立つだろうが、「だ」止めはダメだ、とか、単文で書け、副詞は使うな、など、小説とはまったく関係があるまい。

かといって、作家がよく書く『文章読本』のような心構え論だけで物語が書けるとも思わない。絵画が静物デッサンから始め、ピアノがハノンから習うような、初歩的な教育ステップが小説には欠けている。なんにしても、いきなり小説を書かせて、その添削をして、そのまま賞に応募させるだけ、などというのは、師弟とも、あまりに安直で、お遊戯としか思えない。