スケノグラフィア

現実は物語ではない。始まりもなく、終わりもなく、山場もオチもない。強いて言えば、物語は、散歩や旅のようなものだ。ノヴェルとして、家から出て、いろいろあって、結局、何事もなく元の家に戻ってくる。さもなければ、ロマンとして、家を捨て、旅に出て、紆余曲折の後、新しい家にたどり着く。どのみち家がある。

だが、現実は、家がない。いつと知らず、この人の世に放り込まれ、道途中にして倒れる。だから、現実をそのまま切り取っても、物語にはならない。現実はあまりに根が深い。ただ切り取っただけでは、その深みを失ってしまう。

それゆえ、物語創りでは、現実の断片をうまく切り貼りして、擬似的に奥行きを錯覚させる舞台空間の画割のように錯覚を利用する。これを、「スケノグラフィア(シーン・デピクション)」と言う。そこでは、自律的に動いているかのような登場人物さえも、その空間を表現するための舞台装置のひとつにすぎない。自分自身ですら、この世の立て看板のように思いなす冷めた視点。それが、物語創りには必要だ。