痰壺洗いの息子たち

日本の首都を代表する人物が帰化人差別騒ぎを起こし、いまや逆に「痰壺洗いの息子」としての出自を知られるところとなった。ヒットラーがユダヤ系であり、また、日本の幕末来の国粋主義が下級武士から起こったように、パトリオティズム愛国心)と、実父嫌悪とは表裏一体だ。

痰壺洗いが悪いわけではない。鍵山秀三郎氏のように、功を遂げ、財を成してなお、便所掃除を人の原点として尊ぶ人もいる。要は、石原慎太郎本人が、父親と、そんな父親の息子である自分を痰壺洗いとしていまも激しく差別し続けている、というだけのことだ。『太陽の季節』や『スパルタ教育』、そして彼の愛国心とやらも、すべては、その屈折の表現であって、みずからへの憎悪ゆえに実現不可能な自己愛の手段にすぎない。

そんな人格的に問題のある人物にもかかわらず、彼の本を買い、彼に票を投じた人々が少なくなかった。戦後の東京流入民の多くは、田舎に実父を捨て、会社を継父にしてきた彼の同類だ。しかし、国家も、会社も、彼を愛することはない。なんとあさましく、あわれなことか。畜生道とは、ああいう一生を言うのだろう。