講義の役割

本に書いてあるようなことなら、わざわざ言葉で語るまでもない。一般教養の講義を担当すると、つくづくそう思う。大教室で数百人もの学生を相手にしていると、いま、ここで同じ場を共有し、何を伝えるべきか、大いに悩む。ノートをとれ、などとは言わない。学生時代のノートなど、捨てないまでも、どうせどこかに失せてしまうにきまっている。むしろ学生たち本人こそが私のノートだと思って、そこに思いを書き綴る。

この世の多くの言葉は、空の風に消えていく。飛んでいっても仕方のないほど軽い言葉が多すぎる。口先だけの美辞麗句、生きていくことに結びついていない雑学乱知。

だが、一方には、人を作る言葉がある。それは、ほかならぬ今の自分自身を作らしめた言葉であり、日々の中、一瞬も止むことなく、自分とともに生き続けている、内なる言葉だ。それを学生に伝え、それがいつか形になれば、と祈る。とはいえ、講義が終わってから、学生たちに、感銘を受けました、などと次々に言いに来られると、誠にこっぱずかしいものだ。